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タオルをふっているのは、九九才まで長生きした母の後ろ姿です。見送っている船に私と44年生まれの孫娘が乗っているはずです。当時の事が懐かしく思い出されます。
すずらん灯が懐かしいです。この頃の子供たちは皆元気に川端を走り回って遊んでいました。
朝鮮半島に向かって弓を引く神事です。蒙古襲来に思いをはせ、大軍を迎え撃った対馬の守備隊の勇戦を思う、国難の記憶なのですが、最近、みかけた祭りは、朝鮮半島側に配慮して、海峡に弓を向けないようになっていて、とても遺憾です。隣国に配慮してのことでしょうか。旧に復してもらいたいですね
奇蹟的にもボクの父、祖父が産まれた家に間違い無さそうです。美津島町鴨井瀬、地元の人たちは『幸崎(こうさき)』と呼んでいたそうです。 少なくとも40年以上前の写真ではないでしょうか
ここは椎根の石屋根ですね。左がいちばん上流にあったものですが今は瓦になっています。
ここは豆酘中学校の近くではとの情報がありました けど?本当でしょうか? 屋根の上のお兄さん達を知ってる人はいませんか
私は、写真左のはしご段からさかさまにおちて、協立病院に母がおぶって駆け込んだと聞いてます。あの頃の母親達は強くて、そして、優しかったなあ。