
さよなら、にっぽん丸。浅茅湾周遊クルーズについて
こんにちは、4月8日(水)~11日(土)にかけて客船「にっぽん丸」に乗船していたエヌです。
今回のお仕事は、神戸発着の「九州・済州島(韓国)・浅茅湾周遊クルーズ」での船内観光プレゼンです。
(航路は、神戸発→宮崎・油津→熊本・八代→済州島→対馬・浅茅湾→愛媛・松山→神戸着)

客船の拠点「くまモンポート八代」
にっぽん丸に乗船するため、飛行機で対馬空港→福岡空港、地下鉄で博多駅、新幹線で博多→熊本・新八代、そこから「すーぱーばんぺいゆ号」(高速バス)でくまモンポート八代へ。

ここは、国・県・ロイヤルカリビアン社(世界最大のクルーズ会社)が出資して整備されたクルーズの拠点で、世界最大6mのくまモン、12干支くまモンなどが並ぶ市民の憩いの場でもあります。
八代白百合学園高等学校のブラスバンドや園児による旗振り、着ぐるみ業界随一の激しい動きで知られるくまモンに見送られ、にっぽん丸は翌日の寄港地・済州島(韓国)を目指しました。


船内には、寄港地から送られた数々の楯が飾られ、日本の島々の大きさを比較したパネル(離島経済新聞社)も。

何度か業務を行ったことがある、懐かしの観光案内ツアーデスク。
済州島・オルレの地

翌日は韓国・済州(チェジュ)島へ。対馬の2.5倍の面積を持ち、66万人が住むこの島は、かつて「耽羅(たんら)王国」という独立国でした。
古くから日本と独自の交流もあり、流刑地になったり、1948年の済州島虐殺事件の暗い歴史の舞台でもありますが、現在は韓国屈指の観光地であり、世界自然遺産にも認定されています。

今回は、「済州島めぐり1周観光」(世界遺産・城山日出峰~天地淵瀑布~レストラン~山房山~民芸品店)に参加させていただきました。

城山日出峰。
12年前に済州オルレ(済州島発祥のウォーキング。「通りから家につながる狭い路地」の意味)の視察で訪れて以来の訪問ですが、この日は強風強雨のため入山禁止。

済州島の観光もかつては団体バスツアーが主流で、バスが寄れる観光地・観光施設にしか経済効果がなく、島民も観光客に対して無関心だったそうです。
いわば血液(経済効果・交流)が大動脈のみを流れ、体の末端は冷え切っている状態。

オルレは個人中心のウォーキングで、全島にたくさんのコースが設定されており、寄り道・休憩・途中離脱も可能です。
観光客と島民の交流なども自然発生し、血液が毛細血管まで流れていくように、島の隅々まで経済効果・交流(その結果としてのシビック・プライドの醸成)が生まれ、日本にもその仕組みが導入されています。
12年前の視察では、対馬は地形が険しく途中エスケープができず、済州島のような未舗装歩道も少ないため、「対馬はオルレよりもトレッキング」という結論になったのですが、よい勉強になりました。

済州島のシンボル・トルハルバン(石のおじいさん)。

天地淵瀑布でも、山房山でも、雨男発動中・・・。

バスガイドさんは、日本への留学経験もあるというベテランで、観光地の紹介、済州島の特徴(風・石・女性の島)に加え、日常生活(子どもの受験戦争や徴兵制など)をユーモア交じりの流暢な日本語で説明し、共感を得ていました。

済州島を出て、対馬に向かいます。
浅茅(あそう)湾が変えた日本の歴史

翌日、4月10日は、今回のメインのお仕事の船内プレゼンです。
浅茅湾が変えた日本の歴史(プレゼン)
「日本」という国家の誕生、対馬から始まった物語
物語の主人公は、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)です。
645年の「大化の改新」(乙巳の変)で有名ですが、663年の「白村江の戦い」で唐・新羅連合軍に大敗し、いつ侵略されてもおかしくないという危機感から、667年に対馬に「金田城」を築き、国境守備兵・防人を配置します。
この国防意識・危機感が、「中央集権国家・日本」を誕生させる原動力になっていきます。
国家の正当な神話と歴史
国家建設の大事業は、皇子の実弟・天武天皇や天武の妻である持統天皇に受け継がれ、702年の遣唐使派遣により、国際社会に対して「日本」の成立を正式に宣言します。
天武天皇が編纂を命じた「古事記」「日本書紀」(記紀)は、日本最古の神話・歴史書とされますが、その目的は「新たな国家の正当性を示すため新しい歴史書(教科書)」でした。
遣隋使や遣唐使(初期)たちは、住吉の神などの海神に航海の安全を祈りつつ、大陸の先進文化を日本へ持ち帰りました。この航路は、のちの元寇や豊臣秀吉の朝鮮出兵、朝鮮通信使の往来、日露戦争など、日本の歴史の転換点に幾度も登場することになります。
歴史は繰り返す
この古代の国家建設の動きは、明治維新の流れと非常に似ています。
古代: 豪族の連合体→大陸の制度導入→天皇を中心とした中央集権国家→「日本」
明治: 徳川幕府・藩の連合体→欧米諸国への留学生派遣→天皇を中心とした中央集権国家→「大日本帝国」
やがて明治政府はロシアという大国と対峙し、日露戦争が勃発します。その最終局面は「日本海海戦」ですが、世界的呼称は「対馬沖海戦」(Battle of Tsushima)。
バルト海から世界一周をしてやってきた「世界最強」のロシア・バルチック艦隊を、東郷平八郎率いる連合艦隊が壊滅させた場所も、かつて防人が守っていた対馬沖でした。
歴史の転換点 1861年対馬事件(ポサドニック号事件)
日露戦争の英雄となった東郷平八郎が「日露戦争に勝利できたのは小栗さんのおかげ」とその功績を称えたのが、幕末に勘定奉行・外国奉行などを歴任し、横須賀製鉄所を建設した小栗忠順(おぐりただまさ)。
2027年のNHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」の主人公で、松坂桃李さんが演じるのですが、前半のキャリアにおいて対馬は重要な舞台となります。
1861年、南下政策をとるロシアにより、浅茅湾の一角・芋崎が半年間不法占拠され、島民2名が犠牲になる「1861年対馬事件(ポサドニック号事件)」が勃発します。外国奉行・小栗が対馬に派遣されますが、交渉は難航。大河では、事件の発生から緊迫した交渉、解決にいたるまでのスリリングな展開が、対馬を舞台に描かれるはずです。
松山へ
「日本」の誕生、外交・国防において対馬・浅茅湾が果たした役割、その歴史の流れが翌日の寄港地・松山の「坂の上の雲」(司馬遼太郎)の世界へと繋がっていることをお話しして、プレゼンを終えました。
神戸発着で関西のお客様が多く、古代の朝廷と対馬の深い関係に熱心に耳を傾けていただき、プレゼン終了後にも7~8名から質問を受けるなど、歴史への関心や知的好奇心の強さを感じました。

午後は海上から対馬に接近しました。

最初に見えてきた尾崎半島は、浅茅湾の南西の入口にあたり、明治期の砲台が3基、昭和期の砲台が1基建造された防衛拠点です。

海上からは防人の城・金田城がよく見えていたのですが、逆に防人や明治の砲兵部隊からも海上がよく見えていたんでしょうね。

強風のため芋崎(大河「逆賊の幕臣」の舞台!)付近での旋回となりましたが、海から眺める対馬の険しいシルエットは、魏志倭人伝の描写そのもの(いたるところ断崖絶壁、山が険しく、深林が多く・・・)でした。
下関・呉・松山、最後の入港へ
対馬を離れ、下関から瀬戸内海に入ります。

壇ノ浦で源義経により平氏が滅ぼされた際、三種の神器のひとつ 天叢雲剣/草薙剣(あめのむらくものつるぎ/くさなぎのつるぎ)は失われますが、いまでもこのあたりに沈んでいるんでしょうね。
6歳で海に沈んだ安徳帝は、実は平氏とともに落ち延び、九州や四国に隠れ住んだという伝承も多く、対馬にも宮内庁の正式なご陵墓参考地がありますが、真相は深い海のなかです。

松山港(愛媛県)の外港でにっぽん丸と別れ、松山観光港に移動し、観光フェリーで広島県・呉市(「この世界の片隅に」の舞台!)へ。
しまなみ海道のサイクリング目的の欧米系の観光客を多く見かけました。

呉港から上陸し、大和ミュージアムがリニューアル中だったこともあり、近くのてつのくじら館(海上自衛隊呉資料館)へ。

戦中に日米両軍によって撒かれた大量の機雷(日本軍が5.5万、米軍が1.2万)の掃海の取り組みが中心に展示されており、圧倒されました。

終戦の年の10月、大陸からの引揚者を乗せた九州郵船の珠丸(たままる)が対馬~壱岐間で触雷し、500人を超える大きな被害(実際はもっと多かったようです)を出すという痛ましい事故が発生しています。

機雷を機関砲で撃って爆破処理する、というのは「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」の演出だと思っていたのですが、実話だったんですね。
にっぽん丸のお客様は松山を楽しみ、そして4月12日(日)10:30に神戸港へ「最後の入港」。
同日18:30、名古屋に向けて神戸港から「最後の出航」となりました。
魏志倭人伝の時代から近現代まで、対馬の海は常に日本の歴史の最前線でした。
にっぽん丸での最後の旅は、まさに2000年の航跡を追体験する貴重な時間となりました。
ありがとう、にっぽん丸
にっぽん丸は2026年5月10日、客船としての36年の歴史に幕を下ろします。

2008年に三浦湾でお出迎えを行ってから18年、10数回の寄港(三浦湾/厳原港)と数回の乗船(船内観光案内)を経験しました。
対馬観光物産協会に勤めていなければ、ふじ丸(2013年引退)、ぱしふぃっくびいなす(2022年引退)、飛鳥2、にっぽん丸などの客船と、お客様・関係者の皆様との関わりもなかったと思います。
厳原港の改修工事で客船が接岸できない数年間や、コロナ禍で客船がまったく動かない日々もありました。
忙しい現代社会では効率や速度を重視しがちですが、荒天で寄港できない「抜港」というハプニングや不確定要素も含めて「船の旅」なのだと思います。
客船の歴史に名を刻む「にっぽん丸」の最後の季節に、対馬の歴史を伝える機会をいただけたことに深く感謝します。
同じ時間を共有したお客様、そして商船三井の皆様、本当にありがとうございました!
さよなら、ありがとう、にっぽん丸。







