日本遺産「国境の島 壱岐・対馬・五島」
2015年4月24日(金)、歴史的建造物や伝統芸能などの有形、無形の文化財をテーマや地域ごとに物語る、文化庁認定の「日本遺産」の第1弾(18件)に、「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」(対馬・壱岐・五島・新上五島)が認定されました。
ストーリーの概要(文化庁報道発表より引用・抜粋)
日本本土と大陸の中間に位置することから、長崎県の島は、古代よりこれらを結ぶ海上交通の要衝であり、交易・交流の拠点であった。
特に朝鮮との関わりは深く、壱岐は弥生時代、海上交易で王都を築き、対馬は中世以降、朝鮮との貿易と外交実務を独占し、中継貿易の拠点や迎賓地として栄えた。
その後、中継地の役割は希薄になったが、古代住居跡や城跡、庭園等は当時の興隆を物語り、焼酎や麺類等の特産品、民俗行事等にも交流の痕跡が窺える。
国境の島ならではの融和と衝突を繰り返しながらも、連綿と交流が続くこれらの島は、国と国民と民の深い絆が感じられる稀有な地域である。
対馬の構成文化財(対馬13点)
- 金田城跡(かねだじょうあと) 国指定特別史跡
- 対馬の亀卜習俗(きぼくしゅうぞく) 国選択無形民俗文化財
- 豆酘の赤米行事(つつのあかごめぎょうじ) 国選択無形民俗文化財
- 対馬藩主宗家墓所(そうけぼしょ) 国指定史跡
- 万松院の三具足(ばんしょういんのみつぐそく) 市指定有形文化財
- 銅造如来坐像(どうぞうにょらいざぞう。黒瀬観音堂) 国指定重要文化財
- 清水山城跡(しみずやまじょうあと) 国指定史跡
- 金石城跡(かねいしじょうあと) 国指定史跡
- 旧金石城庭園(きゅうかねいしじょうていえん) 国指定名勝天然記念物
- 朝鮮国信使絵巻(ちょうせんこくしんしえまき) 県指定有形文化財
- 対馬藩お船江跡(おふなえあと) 県指定史跡
- 佐須奈港(佐須奈 日向改番所跡)
- 鰐浦(朝鮮通信使寄港地、ヒトツバタゴ自生地)
金田城跡
【指定等】 国特別史跡
【ストーリー中の位置づけ】
唐や新羅の 日本進攻を防ぐ目的で築かれた朝鮮式山城跡。山深い城山の頂からは、1350年以上前に防人が見つめていた国境の海が一望できる。
7世紀に築かれた古代山城です。国防の最前線の要塞でしたが、現在はトレッキング、シーカヤックなどでアクセス可能です。
対馬の亀卜習俗
【指定等】 国選択無形民俗
【ストーリー中の位置づけ】
亀の甲を焼き、ひび割れで年の吉凶を占う。大陸から朝鮮半島を経て伝わったといわれ、古くは壱岐や伊豆でも行われていたが、今では対馬のみで伝承されている。現在、亀卜は旧歴 1月 8日のサンゾーロー祭 (市無形)で行われている。
豆殴の赤米行事
【指定等】 国選択無形民俗
【ストーリー中の位置づけ】
豆殴地区は、大陸から稲作が伝わった地といわてお り、古くから、赤米を祀り、栽培する行事が行われている。
上記2つの習俗・行事は、対馬の南端・厳原町豆酘(いづはらまちつつ)地区に伝承されています。豆酘は「にほんの里100選」にも認定され、独特の歴史と文化がいまも息づいています。
清水山城跡
【指定等】 国史跡
【ストーリー中の位置づけ】
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に築かせたとされる駅城で、一の丸から二の丸まであり、遺構もよく残っている。
豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄慶長の役)に際し、朝鮮侵攻の兵站(へいたん)として築かれました。対馬市役所近くから片道30分ほどのトレッキング(軽登山)でアクセス可能です。
対馬藩主宗家墓所
【指定等】 国史跡
【ストーリー中の位置づけ】
江戸時代、朝鮮半島との外交 ・貿易の実務を担った対馬藩宗家の菩提寺「万松院」として市民に親しまれ、百雁木(ひゃくがんぎ)と呼ばれる 132段 の石段や杉が立ち並び、壮大な墓地と墓石が、朝鮮貿易の興隆を反映している。
宗家墓所は、対馬藩が重要な役割を果たした江戸時代の朝鮮外交に由来する史跡です。ほぼ対馬市役所周辺に集中しており、徒歩でアクセスできます。
万松院の三具足
【指定等】 国史跡
【ストーリー中の位置づけ】
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に築かせたとされる駅城で、一の丸から二の丸まであり、遺構もよく残っている。
朝鮮国王から贈られた仏具・三具足(みつぐそく)。日光東照宮にも贈られており、朝鮮国の対馬に対する信頼の証です。
金石城跡
【指定等】 国史跡
【ストーリー中の位置づけ】
対馬藩宗家の居城跡とその庭園。ここで朝鮮通信使一行を出迎えたといわれている。
旧金石城庭園
【指定等】 国名勝
【ストーリー中の位置づけ】
対馬藩宗家の居城跡 とその庭園。ここで朝鮮通信使一行を出迎えたといわれている。
朝鮮国信使絵巻
【指定等】 県有形
【ストーリー中の位置づけ】
朝鮮通信使の行列の様子を色彩豊かに描いており、当時の姿を紡彿とさせる。
朝鮮国信使絵巻は、2022年4月開館予定の対馬市博物館で展示予定です。
対馬藩お船江跡
【指定等】 県史跡
【ストーリー中の位置づけ】
対馬藩の藩船を格納、係留したドック跡。朝鮮貿易を担う対馬藩にとって、船は重要な交通手段であり、ここから釜山など各方面へと航海に出た。
江戸時代に建造された対馬藩のいわば造船ドッグです。他の地域では埋め立て・開発などでほとんど姿を消しましたが、対馬には非常によい状態で残されています。
対馬市役所から車で5分ほど(約2km、徒歩25分)でアクセス可能です。
>>対馬藩お船江(Googleマップ)
銅造如来坐像(黒瀬観音堂)
【指定等】 国重文
【ストーリー中の位置づけ】
統一新羅時代 (8世紀)のもので、朝鮮半島経由で伝わったとされる。地元では、女神(おんながみ)さまといわれ、安産の神様としても信仰されている。
金田城の対岸の美津島町黒瀬地区で、安産の守り神として信仰されてきた、8世紀の統一新羅時代の渡来仏です。仏像は観音堂に安置され、地区の方が管理しています。拝観希望の場合は、申込み・調整が必要です。
※2021年7月現在、コロナウイルス感染拡大の影響により拝観ができません。
佐須奈港(佐須奈 日向改番所跡)
【指定等】 未指定
【ストーリー中の位置づけ】
朝鮮往還の玄関口として古代より栄えた良港で、朝鮮通信使上陸の地である。江戸時代には対馬藩主宗義真により日向と陰の2カ所の改番所が設置され、密航者や密貿易の取り締まりが行われた。日向番所は石垣や井戸が現在でも残存し、当時をしのばせる。また、この地より「孝行芋」 (サツマイモ)が朝鮮半島に伝わったともいわれている。
鰐浦(朝鮮通信使寄港地、ヒトツバタゴ自生地)
【指定等】 未指定(ヒトツバタゴ自生地は国天然記念物)
【ストーリー中の位置づけ】
古くより朝鮮半島との通交貿易の窓口となった朝鮮通信使上陸地の一つ。
港の西側には朝鮮通信使の停泊地といわれる矢櫃があり、現在でもその石積を見ることができる。
古代より大陸への窓口であった対馬を象徴する大陸系植物、ヒトツバタゴ自生地でもある。
日本遺産とは
文化庁では, 地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として認定し, ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取組を支援します。
世界遺産登録や文化財指定は, いずれも登録・指定される文化財(文化遺産)の価値付けを行い, 保護を担保することを目的とするものです。一方で日本遺産は, 既存の文化財の価値付けや保全のための新たな規制を図ることを目的としたものではなく, 地域に点在する遺産を「面」として活用し, 発信することで, 地域活性化を図ることを目的としている点に違いがあります。
>>日本遺産とは(日本遺産ポータルサイト)