芋崎砲台

始まりの地 芋崎(いもざき)砲台

2021/04/07

芋崎(いもざき)砲台について

 対馬の中央に広がる浅茅湾(あそうわん)に突き出した半島・芋崎(いもざき)は、幕末にロシア軍艦により半年間占拠された「ロシア軍艦対馬占領事件(ポサドニック号事件)」の舞台であり、日露戦争の伏線ともなる、日本(対馬)とロシアの因縁の始まりの地でもあります。

 この地に建造された芋崎砲台は、日清戦争に備えて建造された対馬最初期の4つの砲台(他は温江砲台・大石浦砲台・大平(低)砲台)の1つで、第一期(明治20年代・日清戦争)と第二期(明治30年代・日露戦争)の特徴をあわせ持つ珍しい型式です。

基本情報

名称

 芋崎(いもざき)砲台

所在地

 長崎県対馬市美津島町昼ヶ浦、浅茅(あそう)湾内の半島部  >>Googleマップ

起工

 明治20年(1887年)4月

竣工

 明治21年(1888年)9月

備砲

 28㎝榴弾砲×4門

アクセス

観光情報館ふれあい処つしま~登山口まで20.2km(車移動可)

登山口~芋崎砲台まで2.2km(徒歩のみ)

芋崎砲台地図.jpg

所要時間など

観光情報館ふれあい処つしま((一社)対馬観光物産協会)
↓ 車で30分(20.2km)
美津島町昼ヶ浦の登山口(駐車)
↓ 徒歩60分(2.2km)
芋崎砲台 ←(往復1km徒歩1時間)→ ロシア軍艦泊留地跡(ロシアの井戸)
↓ 徒歩60分(2.2km)
美津島町昼ヶ浦(乗車)
↓ 車で30分(20.2km)
観光情報館ふれあい処つしま((一社)対馬観光物産協会)

※上記所要時間は、休憩・見学をのぞく移動時間です。見学時間を適宜追加してください。

※(一社)対馬観光物産協会は、「観光情報館ふれあい処つしま」(長崎県対馬市厳原町今屋敷672番地1)にあり、厳原港から車で北に3分、対馬空港からは車で南に20分です。

芋崎砲台への道

観光情報館ふれあい処つしま

 観光情報の提供、パンフレットの請求はこちらまで。
【所在地】 〒817-0021
長崎県対馬市厳原町今屋敷672番地1
観光情報館ふれあい処つしま(一般社団法人 対馬観光物産協会)
【電話】 0920-52-1566
【アクセス】 厳原港から車で3分(徒歩10分)、対馬空港から車で20分。

登山口(芋崎砲台への入口)

芋崎砲台への道01

 美津島町鶏知(けち)から~同町昼ヶ浦に向かう途中、左手に案内板が見えます。
 駐車スペースはあまりないのでご注意を。

ロシア軍艦泊留地案内板

芋崎砲台への道02

 大平砲台(低・高)、芋崎砲台、泊留地(ロシアの井戸)の位置関係が記されています。
 芋崎砲台に行く場合でも、泊留地を目指せばOK。

途中の軍道の様子

芋崎砲台への道03

 砲台への道はこんな感じ。

芋崎砲台への道04
 途中に、石材・レンガを使った構造物があります。

分岐点

芋崎砲台への道05

 芋崎砲台まで20m、ロシア軍艦泊留地(ロシアの井戸)まで500m。まずは砲台を目指します。

芋崎砲台

芋崎砲台への道06

 石造りの砲台跡が見えてきました。

芋崎砲台への道07

 濾過式の井戸です。

芋崎砲台への道08

 第一期の砲弾弾薬庫は石造りで堅牢。

芋崎砲台への道09

 入口の上部に、起工・竣工の日付、責任者名が刻まれた銘板があります。
「明治20年4月起工、明治21年9月竣工、工役長 陸軍工兵中尉 時尾善三郎」

芋崎砲台への道10

 内部はカマボコ型で、防湿のため漆喰が塗られています。通気口は長方形タイプ。

芋崎砲台への道11

 28cm榴弾砲は通常2門1セットですが、芋崎砲台では1門・2門・1門という珍しい配置になっています。
 また他の砲台の砲床(砲座の土台)は堅硬な花崗岩ですが、ここでは強度に問題がありそうなレンガが使われています。
 第一期→第二期の砲台の発達過程を感じさせます。

芋崎砲台への道12

 第二期の弾薬庫はレンガ造りで、半地下式です。

芋崎砲台への道13

 弾薬庫入口と前面の石の壁の間隔が狭く、全国的にはこちらが標準のようですが、対馬の他の砲台ではこの間隔が4m以上あるなど広くなっていきます。


芋崎砲台への道14

 内部にもびっしりレンガが使われています。

芋崎砲台への道15

 観測所。(観測機を設置するための)中央にあるはずの円柱あるいは3本の石柱がありません。

芋崎砲台への道16

 ちょっと場所がわかりにくいのですが、竹藪の奥に進むと・・・

芋崎砲台への道17

 レンガの弾薬庫と、

芋崎砲台への道18
 3本石柱タイプの観測所がありました。

ロシア軍艦泊留地へ

芋崎砲台への道19

 分岐点に戻り、ロシアの井戸を目指します。(悪路なので要注意)

芋崎砲台への道20

 海岸にある「ロシア軍掘削井戸」。

芋崎砲台への道21

 海岸部のロシア軍艦泊留地跡には、「文久元年魯寇之跡」(昭和3年2月建立)の石碑があります。

芋崎砲台への道22

 海岸部にも砲台関係の石材・レンガの構造物の跡が残されています。

芋崎砲台への道23

 刻印のあるレンガを発見。「三石耐火煉瓦株式会社」と読めます。
 明治25年創業、現在も岡山県備前市にある老舗のレンガ製造会社のようです。

高射砲陣地・豊島部隊

芋崎砲台への道24

 さて、ロシアの井戸から砲台跡に戻り、斜面を登ると石碑がありました。

芋崎砲台への道25

 「大東亜戦守備之地 豊島部隊 昭和十七年秋」の文字が読み取れます。
 芋崎には昭和16~17年にかけて高射砲座部隊が配置されていました。
 のちに長崎の金比羅山に移転し、原爆により多くの隊員が命を落としました。

 芋崎には、幕末(ポサドニック号事件)から日清・日露、そして太平洋戦争まで、対馬と戦争に関する数奇な歴史が刻まれていたのです。

オプションルート・芋崎半島を目指して

芋崎砲台への道26

 さて、番外編。芋崎半島の道なき道を進むと・・・。

芋崎砲台への道27

 レンガ造りの探照灯(サーチライト)が!

芋崎砲台への道28

 内部はこんな感じ。


芋崎砲台への道29

 海防と陸防が仲良く並んでいます。

芋崎砲台への道30

 海水の透明度が高く、景観も楽しめます。

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