対馬一の宮 海神神社
対馬の中央部・峰町の西岸に位置する木坂地域に、対馬一の宮「海神神社」(かいじんじんじゃ)が鎮座しています。かつて「街道をゆく13 壱岐対馬の道」の取材で、この地を訪れた司馬遼太郎は以下のように記述しています。
「街道をゆく13 壱岐・対馬の道」より
「対馬が神々の島であるというのは十世紀の『延喜式神名帳』に記載されているいわゆる式内社だけで二十九社もあり、これを肥前(長崎県・佐賀県)がわずか三社しかないことにくらべると、よくわかる」
「照葉樹で覆われたこのまるい伊豆山は、海上からその山容をみれば雲などを湧きあがらせてまことに奇(くす)しき山であるにちがいない。
ここに対馬の海部(海洋民俗)たちが、自分たちの住まいである船と航海の安全をいのって海(わだつみ)の神をまつったのは、当然であるかと思える。」
「海神神社は、伊豆山の山頂にある。山頂への道は堂々たる石段で、登るのが大変だが、ただこのような土地にこれほど贅沢な石段が造営されていることにおどろかされた。」
「全山が原始林で、野鳥の天国のようになっている。その頂上の平坦地にある拝殿は社殿とともに大ぶりな建築で、みごとというほかない。社殿は、南西の海に向かっている。航海する海辺のひとびとを守りつづけてきたという感じが、社前に立つとわかってくるような気がする。」
境内由緒より
海神神社(かいじんじんじゃ)
所在地 峰町木坂伊豆山鎮座
主神 豊玉媛命
祭神 合殿 彦火火出見尊 鵜茅葺不合尊 外二神
この外に摂社・末社十七座
【由緒】
本社は、延喜式神名帳所載、対馬上県郡の名神大社和多都美神社に比定され、神功皇后の旗八流を納めた所として八幡本宮と号し、対馬一ノ宮と称されたもので、明治四年に海神神社と改称、国幣中社に列せられた。
本社の造営は、古く大宰府所収上県郡の貢祖数ヶ年分を以て充てられ、藩政時代には藩費によって、およそ四十年ごとに造営されたものである。
【祭礼】
毎月一日、月次祭。二月十七日(古例は旧正月十五日)、祈年祭。旧八月四日、前夜祭。五日、古式大祭。霜月初卯、一宮祭。
古式祭には神幸式、放生会、神楽があり、古くは鉾舞や舞楽があったが今は絶えた。
【宝物】
八幡神像二体(木造)。阿弥陀如来像一体(銅造・新羅仏)。神代矛6本(青銅広矛・弥生時代)、鏡28面(高麗鏡・胡州鏡・和鏡)。仮面8面(木造・鎌倉~南北朝)。
これには国・県指定の文化財が多く、外に鈴、銀椀、銀匙、甲冑、棟札などがある。
【神山と社叢】
神霊の鎮まるところを伊豆山という。イヅ(稜威・厳)とは神霊を斎き祀ることの意で、千古斧を入れない社叢は県指定天然記念物の原生林、いま「野鳥の森」として指定されている。
玄松子の記憶 「海神神社」
海神神社の位置
>> 海神神社(Googleマップ)