スサノオ、愛知県津島市、信長、対馬の意外な関係について
こんにちは、結局、来週、対馬市ケーブルテレビ+長崎新聞の方と一緒に、阿連(あれ)の取材に行くことになった局長Nです。
思いは届くものですね~(殴)
さて、先日、名古屋の方から、
「名古屋でイベントがあり、対馬をPRしたいので、パンフを送ってほしい。
こちらでは、『つしま』と聞いてもお隣りの「津島市」しか思い浮かばない人も多いので」
という、ありがたいお申し出をいただきました。
愛知県の「津島市」についてちょっと調べてみたところ、対馬と神社がらみの意外な関連がありましたので、ご紹介します。
皆様は「スサノオ」をご存知でしょうか?
(少年ジャンプの某マンガに登場する無敵の忍術とかじゃないですよ)
スサノオは、姉のアマテラス(天皇家の祖神)に嫌がらせをして天岩戸に引きこもらせ、神々によって天界から追放され、怪物ヤマタノオロチを退治して出雲(いずも。島根県)の英雄になった、日本神話に登場する神様の一人(一柱)です。
疫病の神、あるいは疫病を抑える神として、全国の祇園神社・八坂神社・天王神社、京都の祇園祭で盛大に祭られている、あのスサノオです!
現代人から見ると、「お前はいったい何がしたかったんだ!」と突っ込みをいれたくなる、あのスサノオです~。
面倒なときはWikiにおまかせ(殴)
さて、スサノオは天界から出雲へ行くのですが、日本書記には一書(異伝)が多く、まず朝鮮半島の新羅(しらぎ)の「ソシモリ」に降臨し、そこが気に入らず、子どものイソタケル/イタケル(植樹の神)とともに出雲へ渡った、という伝承が記載されています。
愛知県津島市の「津島神社」の社伝では、スサノオの和御魂(にぎみたま。神霊の穏やかな側面)は、新羅→対馬→津島に遷った、とされています。
津島神社は、織田信長や豊臣秀吉の崇敬も受けていた由緒ある神社ですが、その祭神は、対馬からやってきていたのです。
神様が移動するということは、その神様をまつる集団ごとの移動を意味することが多く、地名も同じ「津島」(対馬も古事記では「津島」)なので、対馬→津島の人の流れもあったのかもしれませんね。
実は、対馬北端の上対馬町豊(かみつしままち・とよ)には、スサノオ(島大国魂神社)とイタケル(若宮神社)、さらにはソシモリ(那祖師神社)が祭られています。
島大国魂神社があったとされる豊北部には、「不通浜」(とおらずがはま)という、オソロシドコロなみにインパクトがある場所があり、スサノオが通った場所として立入禁止・絶対タブーの地になっています。
(かなりヤバいらしいので、行かないでくださいね(-_-;)
東の海岸にはイタケルが祭られていました。
豊の漁港近くにはソシモリが祭られており、現在はここに3社がまとめられています。
>>那祖師神社(長崎県対馬市上対馬町豊)(Googleマップ)
また、対馬市峰町志多賀(みねまち・したか)の「那須加美乃金子神社 (なすかみのかなごじんじゃ)」にも同様に、スサノオ・イタケル・ソシモリが祭られています。
>>那須加美乃金子神社(長崎県対馬市峰町志多賀)(Googleマップ)
伝承では、「志多賀北部の神山は、スサノオが植樹した山であり、伐採してもかまわないが、根を掘って樹種を絶やすようなことをすると、おそろしい神罰が下る」(「新対馬島誌」)という、植樹と伐採に関する強烈なタブーがありました。
こわっ(-_-;)
3つの書伝・社伝を総合すると、天界を追放されたスサノオは、朝鮮半島から対馬の北東部を経由して、出雲まで放浪していった、という物語が誕生します。
怪物ヤマタノオロチは暴れ河を意味し、それを退治して天皇家の三種の神器のひとつ「クサナギの剣」(アメノムラクモの剣)を得る物語は、実は、暴れ河を治水し、河の砂鉄から鉄器を得る「製鉄」の物語だとも言われています。
製鉄には大量の燃料(木材)を必要とするため、スサノオ(のモデルになった人物?)は、鉄のために朝鮮半島の森を禿山にして住めなくなり、その反省もあり、日本では植樹を行い、乱伐のタブーを生み出した、とも読めます。
スサノオは、住むべき土地を追われ、対馬にも定着できず、苦労して「怪物」を退治し、やっと「出雲」という安住の地にたどり着いた、のかもしれません。
日本神話のアナザー・ストーリー「対馬神話」、いかがだったでしょうか?
神話は民族の精神の根底にあるものなのですが、戦後、日本神話は軍国主義と同一視され、学校でも教えないようです。
教科書や、中央政府の正式な記録(たぶんに政治的なものですが)には登場しない、秘められた歴史物語「アナザー・ストーリー」(勝手にシリーズ化予定)にふれる旅に、出てみませんか?