伊達政宗と対馬藩主・宗家(そうけ)の物語
こんにちは、局長Nです。
2015/4/15(水)の「歴史秘話ヒストリア」(22:00~22:43)で対馬の「国書偽造事件」が取り上げられます。
初代対馬藩主・宗 義智(そう よしとし)の子である義成(よしなり)の時代、幕府を震撼させた一大外交スキャンダル「柳川一件」がテーマです。
江戸城の大広間において、三代将軍・徳川家光が直々に、宗 義成とその家臣である柳川 調興(やながわ しげおき)を裁いたという、江戸時代最大とも言える裁判事件。
大広間には、戦国の生き残り伊達 政宗(だて まさむね)、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家、松平 信綱(知恵伊豆)、柳生 宗矩(やぎゅうむねのり。将軍の剣術・兵法指南役)、加賀の前田氏、薩摩の島津氏など、幕閣から外様の大大名、旗本までが列席していました。
下馬評では、主君を訴えた柳川が有利だったのですが、伊達 政宗は義成支持を公言してはばかりませんでした。
「将軍家の御沙汰で、もし柳川が勝ったならば、調興を屋敷に帰さず、かならず切り捨てるよう私の家臣に申し付けております。
朝鮮の役のとき、我われはあなたのお父上の義智公に命を預けました。
朝鮮での私の働きに対して、太閤殿下は感状を賜われましたが、それも対馬守殿が少人数で危機を救ってくれたおかげです。
その恩に今こそむくいたいと存じております」 (『柳川実紀』)
※ 「書き替えられた国書 徳川・朝鮮外交の舞台裏」(田代和生・中公新書)
たとえ将軍の裁可であっても認めない、受けた恩義は忘れない、という戦国時代の生き残り、伊達 政宗の言葉がかっこいいです(>_<)
その政宗に「命を預けた」と言わしめた対馬藩主・宗 義智とはいかなる人物なのか?!
洗礼名「ダリオ」をもつキリシタン大名で、妻は小西行長の娘マリア。
朝鮮出兵の先鋒を命じられ、また水面下では命がけの和平交渉を果たす。
そして、国書偽造という禁断の外交手段に手を染める・・・。
今年は、義智が亡くなり菩提寺・万松院(ばんしょういん)が創建されて400年の節目の年。
詳しくは、歴史秘話ヒストリア、見てね!(説明、雑っ)