聖地巡礼「ブラタモリ 対馬編その2」について
こんにちは、ブラタモリ対馬編ロスのエヌです・・・。
夏から取材協力を行い、新型コロナに警戒しながらロケを行い(関係者が発症したらロケ中止(-_-;))、10/22(土)に無事、後編の放送も終わりました。
製作陣の熱意に感激し、タモリさんとお話もでき、対馬の新たな魅力を発見できました。
また明日から、新しい日々を生きていこうと思います(大げさ)
さて、ブラタモリ対馬・後編の聖地巡礼(ロケ地紹介)です!
ブラタモリ対馬編(後編)聖地巡礼
椎根(しいね)の石屋根倉庫群
後半の最初に、タモリさん・野口葵衣アナが訪れたのは、対馬南部・厳原町の西海岸にある椎根(しいね)地区です。
対馬には、堆積岩を屋根石として利用した伝統的な建築物「石屋根倉庫」が各地にありましたが、戦後に瓦の普及が進んで、年々数を減らしています。椎根地区には、この石屋根倉庫が比較的多く残されています。
椎根の石屋根倉庫 〒817-0247 長崎県対馬市厳原町椎根 Googleマップ
小茂田浜(こもだはま)・宗助国騎馬像・ひじき壇
鎌倉時代の元寇(蒙古襲来・文永の役)の頃、このあたりは佐須浦と呼ばれる海岸部で、元・高麗軍の上陸地と考えられています。
元・高麗軍は450艘3万人で、そのうち1000人あまりが上陸し、対馬守護代・宗 助国(そうすけくに。資国とも)は、一族郎党80数騎で迎え撃ち、全滅しました。
宗助国が陣を構えたのが「ひじき壇」。現在も「ひしき」という字(あざ)名や道(ひしき道)が残されています。
宗助国はのちに軍神となり、宗氏の子孫により小茂田浜神社に祭られ、現在も島民の篤い崇敬を受けています。宗助国の騎馬像は神社の境内にあり、ひしき壇は現在、金比羅神社になっています。
小茂田浜
小茂田浜 〒817-0248 長崎県対馬市厳原町小茂田 Googleマップ
宗助国公 騎馬像
宗助国公騎馬像 〒817-0248 長崎県対馬市厳原町小茂田 Googleマップ
ひじき壇(金比羅神社)
ひじき壇 〒817-0248 長崎県対馬市厳原町小茂田 Googleマップ
厳原(いづはら)城下町エリア
対馬市役所周辺は、古くから栄えた政治・経済の中心地で、かつては藩政の中心地として府中(ふちゅう)と呼ばれ、明治時代に「厳原(いづはら)」と改称されました。
タモリさん・野口さんは、私の職場(笑)「観光情報館 ふれあい処つしま」前から、金石城(かねいしじょう)の櫓門を通り、清水山城を見上げつつ、2022年4月に開館した対馬博物館へ。
博物館では、古代から近代までの対馬の歴史を学ぶことができます。(※木曜休館)
対馬藩が行った国書偽造についての展示もあります(笑)。
観光情報館 ふれあい処つしま
観光情報館 ふれあい処つしま 〒817-0021 長崎県対馬市厳原町今屋敷672-1 Googleマップ
金石城 櫓門
金石城櫓門 〒817-0021 長崎県対馬市厳原町今屋敷670-2 Googleマップ
清水山城
清水山城跡 〒817-0015 長崎県対馬市厳原町西里 Googleマップ
対馬博物館
対馬博物館 〒817-0021 長崎県対馬市厳原町今屋敷668-2 Googleマップ
対馬藩家老・氏江家の石塀
対馬博物館からロケ最終地点の渡辺菓子鋪(採石場)までは、約1.5kmにわたって江戸時代の石垣が残されています。
今回、タモリさんが歩いたのはおもに対馬振興局がある厳原町宮谷地区です。
対馬藩家老・氏江家の石塀 〒817-0011 長崎県対馬市厳原町宮谷224 Googleマップ
ネコちゃん(ツシマネコ/ツシマシロネコ) ニャー
渡辺菓子鋪の石切場
対馬の伝統的なお菓子「かすまき」などを製造・販売している和菓子店です。敷地内に石切場があり、城下町の石積みの多くを産出していました。
ちなみに「かすまき」は、対馬藩主が参勤交代で江戸から戻った際に、長旅の無事を祝うために考案されたとされ、当時ぜいたく品であった砂糖を大量に使った餡を、カステラ生地で巻いたもの(カス(テラ)+巻)です。渡辺菓子鋪では、「加寿萬喜」という吉字をあてています。
定番の対馬土産ですが、保存料などを使っておらず(安心!安全!)、長期保存ができないため、昼過ぎには売り切れてしまうことも多いです。早い時間の来店がおすすめ。
渡辺菓子鋪 〒817-0005 長崎県対馬市厳原町桟原53 Googleマップ
まとめ
ブラタモリ対馬編(前編)で、韓国展望所(長崎県対馬市上対馬町鰐浦)から始まったタモリさんの旅は、かつて海だった水田地帯(峰町三根)、海上のオアシス・浅茅湾を一望できる烏帽子岳展望所(豊玉町仁位)、古代の港・西漕手(美津島町小船越)、7世紀の国防の最前線・金田城(美津島町黒瀬/箕形)へ。
そして後編は、対馬の伝統的な農村建築・石屋根倉庫(厳原町椎根)、蒙古襲来の小茂田浜・ひじき壇(厳原町小茂田)、厳原城下町エリア(金石城櫓門~対馬博物館~城下町の石垣)を歩き、和菓子店・渡辺菓子鋪の裏にある石切場へ。
対馬の人々は古くから、対馬の大半をしめる堆積岩を石屋根倉庫に利用し、わずかに露出しているマグマ由来の硬質な火成岩(石英斑岩など)を、金田城の巨大な石塁や、城下町の石垣などに利用してきました。
石英斑岩の美しい石垣は朝鮮通信使を魅了し、まさに対馬は日本の玄関口、日本の顔としての役割を果たしました。
朝鮮半島・大陸と日本列島の間に位置し、岩と山ばかりのこの島に暮らす人々は、その厳しい条件を最大限に活かし、国境の島として、歴史上、重要な役割を担い続けてきたのです。
聖地巡礼「ブラタモリ 対馬編その1」について
おまけ
ブラタモリ「を/で」楽しむ対馬イベント
ブラタモリ2週連続放送を記念して、2022/11/5(土)にイベントを開催します!
ブラタモリで(対馬を)楽しむ、ブラタモリを(対馬で)楽しむ、イベントで、午前中にブラタモリ対馬編の概要や撮影裏話?、午後からは第2回に登場する城下町エリアを歩きます。