古道「蒙古襲来!宗助国、決戦への道」について
こんにちは、久々の登山ルート開拓がヒットして、ソワソワしているエヌです。
さて、今年の夏の終わりころに、日本山岳会福岡支部のWさんから、
対馬に古道がありませんか?
というお問い合わせを受けていろいろ検討していたのですが、
古道「佐須峠(さすとうげ)」にアタックして、面白い結果が得られたのでご報告です。
佐須坂道(佐須峠)について
「観光情報館 ふれあい処つしま」(職場)がある厳原町中心部は、律令時代(7世紀後半ころ)に国府が置かれ、いまでも対馬市役所や国・県の機関、厳原港などが集中しています。
山を越えた西側の佐須は、「日本書紀」によると674年(天武天皇2年)に日本最初の銀が産出し、また元寇(蒙古襲来・文永の役)の舞台になるなど、激動の歴史が刻まれた地域です。
※佐須は、小茂田(こもだ)、下原(しもばる)、樫根(かしね)などの総称です。
佐須と厳原を結び、銀の運搬にも使われていた峠道が佐須坂道で、元寇の際、守護代・宗 助国公とその一族は、この道を通って決戦の場・佐須浦(小茂田浜)に向かいました。
ただ、さすがに鎌倉時代の道は残ってないだろうと思いながら、地図で当たりをつけて登ってみると、しっかりした山道が・・・。
伐採作業道が迫っているところもありましたが、奇跡的に破壊を免れておりました。
携帯が通じる高度になったので、国防や砲台の専門家・小松津代志さん(元自衛官)に電話すると、
「その道で間違いないよ。『辺要』にも書いとるけん、見てみんね。戦時中の旧制厳原中学校の生徒は、小茂田浜神社大祭の時には佐須峠を越えて鍛錬しよったって聞いとるよ」
「辺要」(小松さんの著書)によると
- 旧佐須道は昭和30年代までは一部使用していた
- 銀や物を馬の背に乗せ、佐須から国府に運ばれていた経路(銀の道)であった
- 山中の広場(現在は鉄塔付近)は、助国公が軍議を行った場所で「軍議壇」と呼ばれている
とのこと。
(陸上自衛隊の駐屯地に近いこともあり、隊員が訓練で歩いたこともあるそうです)
「厳原町誌」(P102 第2編地誌 佐須坂)には、
- 標高302メートル、『佐須坂三里』という屈指の難路であったが、大正末期から昭和初期に県道(厳原・佐須線)が開通し、この旧道はしぜんに廃れた
- 佐須浦で戦死した守護代宗助国主従の兵馬は、この峠を越えて出陣したという
峠道には忘れられたお地蔵様などもあり、古代の銀の道、宗 助国公の決戦の道が生きていることに感動しました。
対馬の元寇:佐須浦(小茂田浜)の戦いについて
元寇(蒙古襲来)は文永の役(1274年)・弘安の役(1281年)の2度発生していますが、対馬では文永の役の「佐須浦の戦い」がよく知られています。
(弘安の役に関しては対馬に関する明確な記録がなく、被害状況もわかりません)
以下は、「佐須浦の戦い」のまとめです。
戦闘勢力
【対馬勢】
対馬守護代・宗助国以下一族郎党80数騎
【蒙古勢】
蒙古・漢軍 総司令官 忽敦(クドゥン)、副将 洪茶丘・劉復亨 2万人
高麗軍 司令官 金方慶 1万人
900隻
※人数には諸説あります。敵兵のうち約1000人が佐須浦に上陸し、戦いが起きます。
戦闘の流れ(時系列)
文永11年(1274年)10月5日
06:00 八幡宮(厳原)で突如火柱があがり、炎上するが幻であった(元寇の予兆)
16:00 蒙古・高麗軍が佐須浦に来航
18:00 国府(厳原)に蒙古襲来の一報が入る → 大宰府に急使
10月6日
00:00 助国公および一族郎党が国府を出発、佐須峠を越える
02:00 佐須浦に到着
04:00 通訳の真継男が交渉するが、問答無用で矢を放たれる。高麗兵などおよそ1000人が上陸し、戦闘開始
09:00 対馬勢、全滅 → 直前に、大宰府に急使
宗助国は68歳の老将で、お首塚・お胴塚・かいな(手足)塚・太刀塚などにバラバラに埋葬されています。
(敵に首を取られるのは武士の恥なので、家臣に首を隠させた、とも)
記録がある佐須浦の戦いだけではなく、美津島町加志、峰町吉田、上対馬町比田勝など各地に伝承があり、宗一族の墓所が残されています。
小茂田浜神社について
小茂田浜神社はもともと対馬勢の戦死地に祭られた小さな祠でしたが、宗家4代経茂が現在地に遷座し、さらに21代(3代藩主)義真が改建、大正時代にも寄付により改建されています。
祭神はもちろん軍神・宗 助国で、2020年には地元有志により宗助国公の銅像も建立されました。
「対馬の元寇」を描いたマンガ「アンゴルモア元寇合戦記」の発行およびアニメ化、プレイステーション(ソニー)用のゲーム「ゴーストオブツシマ」の大ヒットなど話題も多く、注目を集めています。
なお、戦死者のなかには、矢尽き刀折れてもなお石をもって敵兵を撃殺したというリアル・バーサーカー斎藤資定や、肥前の御家人・口井源三郎(アンゴルモアの朽井迅三郎のモデル?)などの名もあります。
佐須峠越えのエピソード・描写は、「アンゴルモア元寇合戦記」第1巻 P136~137 をご覧ください。
佐須浦の戦いは、ゴーストオブツシマのオープニングでも描かれています。境井仁や志村の伯父上、安達殿も佐須峠を越えて佐須浦にやってきたはず。
元寇の慰霊祭である小茂田浜神社大祭は、昨年はコロナで中止になりましたが、今年は開催されるのでしょうか・・・。
小茂田浜神社に行くなら、佐須峠を越えてゆかねば(殴)
令和3年(2021年)の小茂田浜神社例大祭について (2021/10/28追記)
小茂田浜神社例大祭の前夜祭は11月13日(土)17:00から、本祭は11月14日(日)10:00から執行いたします。
ただし、新型コロナウイルス感染防止対策の観点から、武者行列、浜殿祭(鳴弦の儀)、奉納相撲は中止します。また、佐須名物「豆もち」などの販売も中止いたします。
・・・とのこと。残念!!(>_<)