「日本のいちばん長い日」と鈴木貫太郎について
こんにちは、局長Nです。
今年は終戦から70年の節目の年で、まもなく終戦の日を迎えます。
昭和20年(1945)8月15日の正午、日本の無条件降伏を主旨とするポツダム宣言の受諾が、昭和天皇の肉声により全国にラジオ放送され、この玉音放送によって、日本は終戦を迎えました。
戦争は始めることよりも終わらせることの方がはるかに困難で、もしポツダム宣言を受諾していなかったら、米軍が九州から北上し、ソ連軍が北海道から南下し、日本は兵力を分散させられた挙句、国土を南北に分断されていたかもしれません。
同じ民族で殺しあうという朝鮮半島の悲劇が日本でも起き、その後の歴史が現在とはまったく変わっていたかも知れないのです。
さて、戦争と平和は大きくて重いテーマなので、正面から取り組むのは気が重いという方は、現在公開されている映画「日本のいちばん長い日」をご覧になってはいかがでしょうか?
キャッチコピーは、「その決断に、すべての希望は託された。降伏か、本土決戦か-」
玉音放送までの2日間に、宮中、軍、政府内などで何が起こっていたのかを、昭和天皇、陸軍大臣、首相、放送関係者、クーデター首謀者などの動きを追いながら、スリリングに描いています。
2度目の映画化となる今回のキャストは、
阿南惟幾(あなみこれちか。陸軍大臣) - 役所広司
昭和天皇 – 本木雅弘
鈴木貫太郎(首相) – 山崎努
迫水久常(内閣書記官長) – 堤真一
畑中健二(陸軍少佐) – 松坂桃李
という豪華な顔ぶれ!
猛暑のお盆は、映画館で、戦争と平和について考えてみてはいかがでしょうか?
さて、本編です(前置き、長っ!!)
今回の映画で名優・山崎 努さんが演じる鈴木 貫太郎首相は、最高齢(77歳)で就任した戦時体制最後の総理大臣ですが、実は、若いころに対馬の竹敷(たけしき。美津島町)の海軍要港部にいました。
首相としてはあまり感情を表に出さないイメージですが、竹敷にいたころは「不死身の鬼貫(鬼の貫太郎)」と呼ばれるほどの勇猛な軍人で、日清戦争、日露戦争の勝利に貢献しています。
近代国家として誕生したばかりの日本が、東洋の大国・清、ヨーロッパ列強のロシアに勝利し、やがて世界大戦へと突入し、無条件降伏へと至る・・・。
そのすべてに、深く関わっていたのが、海軍の有能な軍人であり、戦時体制最後の首相となった鈴木貫太郎だったのです。
映画を見る際には、そういったことをふまえ、鈴木首相の発言、行動に注目してみてくださいね。
「対馬歴史観光ガイドブック」より こぼれ話「竹敷と鈴木貫太郎」
1894~95年の日清戦争の頃、対馬・竹敷の水雷艇隊に若き鈴木貫太郎がいました。
多くの国々が「眠れる獅子・清」の勝利を予測しましたが、日本は50tほどの水雷艇と魚雷の有効性に着目し、東洋最強とされた清の戦艦「定遠」(ドイツ製、7000t超級)を魚雷で擱座・自沈させ、勝利しました。
10年後の日露戦争(日本海海戦)では、鈴木貫太郎はバルチック艦隊の進路に悩む秋山真之を激励、自らも第四駆逐隊司令として竹敷を出撃し、バルチック艦隊の残存艦(戦艦3隻、巡洋艦2隻)を撃沈する大戦果をあげました。
2・26事件で青年将校に襲撃されるも一命を取り留め、第2次大戦末期には、昭和天皇の懇請により総理大臣に就任、戦争を終結させた8月15日に総辞職します。
戦後も戦争続行派から命を狙われ、引越しを繰り返しながら、3年後に死去。
「不死身の鬼貫」は、日本が世界の大国と戦い続けた明治~昭和期を現場で生き抜いた稀有な人物でした。
>>「対馬歴史観光ガイドブック」の配布について(ブログ 2011.04.26)
おまけ
この夏、「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録されましたが、その時代、対馬は近代化を急ぐ日本の防波堤、国防の最前線であり、全島に多数の砲台が建造されました。
ウルトラマニアックな対馬の砲台のガイドブックもありますので、お楽しみください(殴)
>>「対馬砲台あるき放題~対馬要塞まるわかりガイドブック~」の配布について(ブログ 2012.05.16)