
対馬砲台群を歩く 「芋崎砲台・大平砲台編」
こんにちは、観光担当Nです。
2011年10月11日(火)、今年度の重点観光資源である対馬要塞調査の一環として、美津島町昼ヶ浦の芋崎砲台と大平砲台の調査を行いました。
両砲台は、明治20年起工、同21年に竣工した対馬最初期の4つの砲台のうちの2つです。
美津島町昼ヶ浦は、1861年(ちょうど150年前)にロシアの軍艦によりその一部が占拠されてしまった因縁の地です。
対馬の防衛のため、明治20年に砲台が設置されました。
対馬の砲台跡でよく見かける3点濾過式の井戸です。
石造りの重厚堅牢な砲台が、100年以上の時を超えて存在感を示しています。
対馬の砲台は、第1期(日清戦争前)、第2期(日露戦争前後)、第3期(第2次大戦前)に分類されますが、芋崎砲台は第1期の砲台です。
扁額には、起工・竣工・建設責任者の名前が刻まれていました。
半地下式の棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)です。通常は弾薬庫などとして利用し、緊急時には兵舎などにもなります。
右手に写っているのは、中対馬ガイド養成担当(砲台担当?)S。
内部はこんな感じ。湿気対策として、しっくいが塗られています。
右手に写っているのはコウモリ。
ちょっとわかりにくいところにあった観測所。観測所で敵艦などの方位・距離などを計測し、砲座に伝達します。
芋崎砲台から10分ほど海に降りていくと、ロシアの井戸、「文久元年 魯寇之跡」(露寇の碑)がありますが、漂着ゴミが多く、雰囲気が悪いのが残念。
芋崎砲台からの帰り道、なにやら山頂に続く山道を発見。登ってみると石碑があり「大東亜戦守備之地 豊島部隊 昭和十七年秋」の文字が・・・。
芋崎には、昭和16年から17年にかけて高射砲座が設置されており、のちに長崎の金比羅山に移転。
そこで原爆に遭い、多くの隊員が命を落としましたが、彼らが対馬を去る際に設置していった石碑のようです。
さて、芋崎の次は大平砲台(低砲台)へ。
大平砲台は、道路工事により一部が破壊されており、しかも弾薬庫に漁具?などが詰め込まれていました。
車で行くことができるのですが、これといって魅力はなく・・・(-_-;)
ちなみに、建設責任者は芋崎と同じ工兵中尉・時尾善三郎氏で、工期もほぼ同じです。
大平には明治期の高砲台もあるのですが、今回は調査不足のため砲座のみ確認。次回に持ち越しです。
歩き回った挙句、またまた外見などどうでもよくなり、バカボンのパパのような状態になっている砲台担当Sです。
知り合いに見つかったら、まちがいなく「お前、何やってんだ?」と言われそうなシチュエーションですが・・・。
その後、竹敷・深浦・面天奈など怪しげな場所を歩き回り、調査は終了しました。
年度内に、対馬要塞ガイドブックを作成する予定ですので、お楽しみに。
(完成してもないのに既に予約が5件もあり、Sが焦っています)
【交通アクセス】
厳原港→(国道382号線を北上9.3km)→十八銀行美津島支店前交差点(西に進んで県道24号線を1.5km)→箕形・竹敷交差点を右折(県道197号線に入り、5.7km)→芋崎砲台軍道入口(看板あり、徒歩1.3km)→芋崎砲台
※芋崎砲台軍道入口から道なりに0.9km車で進むと大平(低)砲台
※対馬空港から十八銀行美津島支店前交差点までは、県道64号線を南下1km、右折して国道382号線に進み南下2km
Googleマップ
>>芋崎砲台・大平(低)砲台