
古代鉱山の世界 ~厳原町阿連(いづはらまち・あれ)~
こんにちは、漂着物学会の皆様をお迎えするために市役所の阿比留さんと一緒に阿連の白浜の草刈りをしたら、たまたまポケットにGPSと1/25000地図があったので(殴)、阿連の「日本最古かもしれない鉱山跡」に行ってきた局長Nです。

阿連は観光地としてはまったく無名ですが、農業・漁業・林業がバランスよく営まれている「生活の原型」のような集落で、個人的にとても魅力を感じます。
さて、今回のターゲットは、ずっと気になっていた「阿連の鉱山跡」です。
あまり知られてはいませんが、日本で最初に銀(しろがね)が産出したのが対馬。
674年に最初に天皇に献上され(古っ)、以降13世紀まで、ほぼ日本唯一の銀山として延々と採掘が続けられます。
(石見銀山は14世紀ころから)
阿連の南の樫根(かしね)が対馬銀山とされていますが、阿連にも古い時代の鉱山跡があるのです。

とんでもなく沢が深いので、道に迷うとたいへんなことに(-_-;)

たどり着けないかも、と不安に思っていたら、山仕事中の阿連の橘 一門(たちばな かずかど)宮司さんとばったり遭遇。
案内していただきました。
ありがとうございます!

どどん!
古代坑!

実はここは谷(沢の底)になっており、上部に石を積んで浸水を防いでいます。

硬い岩盤を、深く掘り下げているのです。

手掘りの跡。

昭和の東邦亜鉛が閉山する際、危険なので古代~現代のほぼすべての坑道入口を土嚢で塞いでいます。
内部をフラッシュ撮影してみました。

宮司さんの話では、内部は枝分かれしており、入口上部には菊の紋章の飾りがあったそうです。
他にも数ヶ所、こうした坑道の跡があり、このあたりが対馬最古(つまり日本最古)の鉱山跡と聞いていた、とのこと。

坑道の上。すでに谷なのですが・・・

深く掘り下げてます。

帰りは尾根道を歩きましたが、すごい急傾斜(-_-;)
「足元、気をつけてね」(宮司さん)
「はい・・・。落ちると軽く死にますね(志半ばで)」(私)

こうして阿連の古代鉱山の探索は無事終了したのですが、阿連の自然の恵みをご紹介。
原木しいたけ。

昔ながらのニホンミツバチの養蜂。
日本書紀の養蜂の記録は7世紀。1400年ぐらい前ですかね(古っ)。

対馬の宝・ニホンミツバチの蜂蜜。

炭焼き。里山です。

海に面しており、田んぼも畑も広いです。
自給自足できそう。
↑戦後まもなく、農業改良普及員として阿連に着任した月川雅夫さんの著書です。
「島流し」と同僚の哀れみを受けながら阿連に来たら、戦後の食料難の本土とは比べ物にならない「自然と共生する豊穣の世界」があったことに感動するお話。
食べ物がとてもおいしそうです。
読書の秋におすすめ。

以前の記事の繰り返しになるので省きますが、阿連にはオヒデリさまという神事が伝承されており、その舞台のひとつ、雷命神社。
水神と太陽神が神婚して里に豊穣がもたらされるという、まるで柳田國男の世界が展開されます。

社殿を圧倒しているイチョウの大木。黄葉が楽しみです。
モミの大木もあったのですが、今年の台風の時に竜巻が発生し、折れてしまったとか。

心癒される阿連の風景。
神話と伝承と豊かな自然に恵まれた、心のふるさとのようです。
今年のオヒデリさまは12月21日(金)です。

>>Googleマップ(長崎県対馬市厳原町阿連)
次回の古代鉱山レポートは、厳原町樫根(かしね)からお届けします。
(まだやるのかい)