聖地巡礼「プロファイラーIF モンゴルvs.鎌倉武士〜日本最大の危機〜」について

2022/10/12メディア,対馬の歴史

 こんにちは、このところずっとソワソワモードのエヌです。
(いや、ブラタモリとかお城EXPOとかですね・・・)

 さて、2022/10/6(木)21:00~23:00に放送された

「プロファイラーIF モンゴルvs.鎌倉武士〜日本最大の危機〜」(NHKBSプレミアム)

はご覧になられたでしょうか?

 人気シリーズのシーズン11で、番組のMC(総合司会)を務めるのは「軍師官兵衛」「永遠の0」「ザ・ファブル」「ヘルドッグス」などで主役を演じた岡田准一さん。

 テーマは鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)で、元寇の始まりの地・対馬に、岡田准一さん、財前直見さん、歴史家の小和田泰経さんが来島され、ロケが行われました。

 今回のブログでは、元寇関連地・ロケ地などの「聖地」を紹介します。

島国・日本を襲った数々の歴史的出来事

 さて、オープニングで岡田さんが、「島国日本を襲った、歴史上の数々の危機」として、

「飛鳥時代、朝鮮半島をめぐって戦った白村江の戦い」
「安土桃山時代、豊臣秀吉の号令による朝鮮出兵」
「そして幕末の黒船来航」

「日本にとっての最大の危機、鎌倉時代の蒙古襲来、元寇」

を提示されたのですが、いや、対馬はその全部に巻きこまれていますね(-_-;)

危機その1 白村江の戦い

 → 対馬に金田城が作られ、防人が配置されました。

危機その2 朝鮮出兵

 → 対馬に清水山城が築かれ、宗 義智は朝鮮出兵に参加し、また戦後の和平交渉に尽力。

危機その3 黒船

 → 幕末には多くの異国船が来航しており、1853年にはアメリカのペリー提督が来日し、1861年にはロシアのポサドニック号が対馬に来航しました。

最大の危機 元寇

 「最大の危機」である元寇ですが、対馬はその最初の襲撃地でした。
 そして近年、「対馬の元寇」が注目を集めている理由のひとつとして紹介されていたのが「ゴーストオブツシマ」です。

『Ghost of Tsushima Director’s Cut』 発売告知トレーラー
『Ghost of Tsushima Director’s Cut』 発売告知トレーラー 2021/07/02

岡田准一さんが来訪した場所

対馬空港(愛称 対馬やまねこ空港)

岡田さん 「元寇で最初の戦いが行われた対馬にやってきました。いいですねー、緑豊かで。」

 岡田准一さんが降りてきたのは、対馬の空の玄関口「対馬やまねこ空港」で、
 福岡空港・長崎空港から、1日4便程度、片道35分ほどの空路で結ばれています。
 福岡空港は、博多駅から福岡市営地下鉄で2駅という便利な立地です。

対馬やまねこ空港(Googleマップ)

小茂田浜(こもだはま)と小茂田浜神社

小茂田浜
小茂田浜神社

岡田さん 「いい場所ですねえ。ここはですね、美しい砂浜が続く小茂田浜(こもだはま)と言います。モンゴルの船が最初に上陸した場所になります」

 元軍(蒙古・高麗軍)は、対馬南部の西海岸・佐須浦(現在の小茂田浜およびその上流)に襲来しました。
 対馬守護代・宗助国は、3万ともいわれる元軍に対し、80余騎で立ち向かい、数時間の激闘の果てに全滅しました。

 番組では、宮司の舎利倉(しゃりくら)さんが、対馬での戦いの状況を、岡田さん、財前さん、小和田さんにお伝えしました。

佐須(さす)もち

佐須もち

岡田さん 「佐須もち、小豆感がすごい」「元寇の時に生まれた餅ということですよね」「なるほど、おいしい」「さっぱりした塩味に、でも小豆の良さっていうか、小豆の香りが(強い)」

 小茂田浜神社の大祭(例年11月)にあわせ、小茂田地区で製造・販売される餅です。
 元寇の際、小豆を練って餡にする時間がなく、塩ゆでしただけの小豆を餅に押し付けて兵糧とした、という伝承があります。

 舎利倉さんのおすすめは、ニホンミツバチの蜂蜜をつけて食べるというもの(贅沢)。

小茂田浜神社(Googleマップ) 〒817-0248 長崎県対馬市厳原町小茂田742

宗助国公騎馬像

宗助国公騎馬像

岡田さん 「とても立派な像ですね」「モンゴル軍は3万、宗助国軍は(それを)80騎余りで迎え撃たなければいけない」

 宗助国公は、軍神として小茂田浜神社に祭られている「対馬の英雄」です。
 2020年夏、小茂田浜神社の境内に、宗助国公騎馬像(銅像4m、台座3.7m)が建造されました。

宗助国公騎馬像(Googleマップ) ※小茂田浜神社の境内

元寇奮戦図

元寇奮戦図

岡田さん 「臨場感のある絵になってますね」

 番組では拝殿内の絵をご覧になっていましたが、同じものが境内の説明板に使用されています。

法清寺(お胴塚)

岡田さん 「島の人たちにとって宗助国はどういう人物はなんですか?」

舎利倉さん 「対馬を守るために戦ってくださった英雄 軍(いくさ)神様」

 対馬の戦いで全滅した宗助国は、その死に際し、敵に首を取られるのは武士の恥なので自分の首を隠すよう(家臣に)命じた、と言われています。小茂田周辺には、宗助国公のお首塚、お胴塚、かいな(手足)塚、太刀塚が散在しています。

 厳原町樫根地区の法清寺(小茂田浜から3.1km)には、お胴塚があります。

法清寺(Googleマップ) 〒817-0243 長崎県対馬市厳原町樫根344

小茂田浜神社大祭・鳴弦の儀

対馬観光映像集~歴史編~ (MOTTO! TSUSHIMA HISTORY)
動画「対馬観光映像集 歴史編」

 11月の小茂田浜神社大祭では、元寇で散った宗助国とその一族郎党を弔うため、武者行列と鳴弦の儀が行われます。

 ※2022年の小茂田浜神社大祭は、新型コロナウイルス感染拡大のため、鳴弦の儀や武者行列は行われず、神事のみ実施されます。

佐須古道

 元軍が佐須浦(小茂田浜)に上陸したという一報が、対馬の中心地・府中(厳原の東海岸)に届き、宗助国は夜中に府中を発し、山越えの古道を通って西海岸の小茂田浜を目指しました。

 小茂田(樫根地区)には日本最古の銀山(対馬銀山)があり、銀を府中に運ぶ道を、宗助国一行は駆け抜けて蒙古・高麗軍との決戦に挑みました。

おまけ

 対馬観光物産協会のスタッフもエキストラでちょこっとだけ出演しています。録画している方は、チェックしてみてくださいね。

小茂田浜にて撮影打合せ、ゴミ拾いエキストラ
佐須峠にて武者エキストラ
岡田准一さんが使った姿見とハンガーを返しにいくスタッフの方(^^;)