対馬のできごとあれこれ(1956-1985年)
- 対馬のできごとあれこれ(1956-1985年)
- 写真 No.01~49
- 写真 No.50~99
- 写真 No.100~149
- 写真 No.150~191
【目次】
- 1. 町村合併30周年町勢要覧「いづはら」(1986年)より
- 1.1. 1956 昭和31年
- 1.2. 1957 昭和32年
- 1.3. 1958 昭和33年
- 1.4. 1959 昭和34年
- 1.5. 1960 昭和35年
- 1.6. 1961 昭和36年
- 1.7. 1962 昭和37年
- 1.8. 1963 昭和38年
- 1.9. 1964 昭和39年
- 1.10. 1965 昭和40年
- 1.11. 1966 昭和41年
- 1.12. 1967 昭和42年
- 1.13. 1968 昭和43年
- 1.14. 1969 昭和44年
- 1.15. 1970 昭和45年
- 1.16. 1971 昭和46年
- 1.17. 1972 昭和47年
- 1.18. 1973 昭和48年
- 1.19. 1974 昭和49年
- 1.20. 1975 昭和50年
- 1.21. 1976 昭和51年
- 1.22. 1977 昭和52年
- 1.23. 1978 昭和53年
- 1.24. 1979 昭和54年
- 1.25. 1980 昭和55年
- 1.26. 1981 昭和56年
- 1.27. 1982 昭和57年
- 1.28. 1983 昭和58年
- 1.29. 1984 昭和59年
- 1.30. 1985 昭和60年
町村合併30周年町勢要覧「いづはら」(1986年)より
1956 昭和31年
- 4月15日 佐須村役場が全焼
- 5月 万関橋完成
- 6月 厳原で初めてテレビがうつる
- 9月9日 台風12号が対馬を襲来し、厳原港桟橋が決壊(瞬間最大風速34メートル)
- 9月30日 佐須村、久田村、豆酘村、旧厳原町が合併し、現在の厳原町が誕生
- 9月 人口22,000人、世帯数約3,800戸
- 11月11日 合併後の初代厳原町長に齋藤栄氏が就任
- 公営住宅の建築(~昭和32年、久田11戸、内院4戸、安神3戸、桟原25戸、2,030万円)
- 佐須支所庁舎新築
- 久田中学校の改築(267万円)
- 豆酘中学校集会室の建築(225万円)
1957 昭和32年
- 1月6日 田渕、大手橋の大火(110世帯、被災者420人という空前の火災、被害総額5000万円)
- 2月24日 対馬~博多間に壱州丸(600t)が就航
- 10月19日 豆酘多久頭魂神社で火災(国宝級の仏像などが消失)
- 10月28日 NHKのど自慢大会が八幡宮境内で開催
- 厳原塵芥焼却炉の建設
- 厳原中学校集会室の建築(423万円)
- 白銀橋の架替
1958 昭和33年
- 6月 昼夜電灯がつくようになる
- 阿連小学校集会室の建築(146万円)
- 久田小学校集会室の建築(128万円)
1959 昭和34年
- 2月28日 砥石渕の水源地から供給開始(貯水量1,500t)
- 3月20日 久田支所が廃止
- 8月10日 対馬林業指導所が完成
- 8月25日 対馬高校が全国軟式野球大会に出場、東京都代表早稲田実業と対戦、延長11回、4対2で惜敗
- 9月17日 台風14号が対馬地方を襲来、浅藻で住家29戸が流出、瞬間最大風速43m
- 金田小学校集会室の建築(460万円)
- 上槻簡易水道の整備(345万円)
- 豆酘中学校運動場の整備(170万円)
1960 昭和35年
- 4月 万松院の演芸大会
- 8月10日 対馬が県立公園に指定(島の観光連盟では、指定を契機に西條八十作詞、古賀正男作曲の「対馬の娘」を島倉千代子さんが吹きこみ)
- 10月1日 合併後初めての国勢調査(人口23,472人、一世帯数5,457)
- 10月20日 齋藤栄町長が再選
- 豆酘小学校危険校舎の改築(427万円)
- 厳原中央公民館の建築
- 厳原中学校の増築(599万円)
- 町道横町線の改良(719万円)
1961 昭和36年
- 5月17日 町議選挙が行われ、定員30人に43人が立候補(現職18人、新人9人、元3人が当選)
- 7月19日 NHK「声くらべ・腕くらべ子供音楽会」の公開録音
- 第1回対馬縦断駅伝大会(厳原町が優勝)
- 豆酘中学校の増築(306万円)
- 浅藻小学校集会室の増築(157万円)
- 阿連小学校の増築(157万円)
- 内院中学校の増築(218万円)
1962 昭和37年
- 3月4日 県立対馬教員養成所を廃止(昭和28年の開校以来、241人の卒業生をおくりだす)
- 3月13日 今屋敷商店街で大火
- 9月9日 NHK「3つの歌」の公開録音
- 厳原小学校危険校舎の改築(~昭和47年、鉄筋コンクリート2・3階建、運動場整備など)
- 厳原中学校プールの建設(25m×6コース、349万円)
- 桟原・久田の公営住宅の建築(699万円)
- 町道安神線の開設(~昭和39年、2,253万円)
1963 昭和38年
- 1月19日 厳原~久根間にバスが就航
- 1月28日 今屋敷の商店街で再度火災
- 2月 対州馬8頭が仙台市の動物園におくられる
- 8月30日 小茂田~阿連間の県道が完成
- 11月3日 博多~厳原間に対州丸(650t)が就航
- 12月15日 第1回町内駅伝大会
- 町道樫根線の改良(L=180m、99万円)
- 阿連簡易水道の整備
- 金田小学校の増築(648万円)
1964 昭和39年
- 7月 対馬支庁の新庁舎が完成
- 10月 カラーテレビが映る
- 11月1日 町長選挙が行われ、一宮源太郎氏が初当選
- 11月 町内にスーパーマーケットが登場
- 大町通り~馬場筋通りの舗装が完成
- 大調中学校の改築(木造2階建、828万円)
- 厳原幼稚園の増築(木造平屋建、217万円)
- 町道上見坂観光道路の改良(~昭和42年、L=700m、281万円)
- 久田簡易水道の整備(総帥能力135t、815万円)
1965 昭和40年
- 町議選が行われ、定員26人に52人が立候補(現職17人、新人7人、元2人が当選)
- 10月1日 国勢調査(人口21,989人、世帯数5,664)
- 12月19日 福岡~対馬間にヘリ空路を開設(片道5,200円)
- 12月22日 対馬初の信号機が八幡神社前にお目見え
- 大調小学校の改築(木造2階建、1,287万円)
- 厳原町自動車教習所の建設(~昭和41年、658万円)
- 町道尾浦線の開設(L=1,950m、1,200万円)
- 厳原学校給食共同調理場の建築(922万円)
- 厳原ヘリポートの建設(239万円)
- 北厳原簡易水道の整備(1,031万円)
1966 昭和41年
- 8月 厳原町立自動車教習所で初めての運転免許試験
- 11月23日 町村合併10周年記念式典挙行
- 12月5日 大相撲厳原場所の興行
- 厳原病院の建設はじまる
- 田渕排水路の改良(L=314m、600万円)
- 経塚橋の架替(L=29m、800万円)
- 阿連中学校の建設(木造2階建、996万円)
- 大槻中学校へき地集会室の建築(808万円)
- 金田校スクールバスの購入(328万円)
1967 昭和42年
- 厳原町の町章が決まる(群馬の桜井ミエさんの作品)
- 7月5日 厳原で大雨(午後7時から9時までの2時間で144ミリ、住家2戸が全壊)
- 阿連保健福祉館の建築(コンクリートブロック平屋建、457万円)
- 農道野良線の新設(~昭和44年、L=3,054m)
- 町営住宅の建設(納言5戸、経塚12戸、1,525万円)
- 久和中学校の増改築(木造平屋建、1,507万円)
- 久和中学校集会室の建築(869万円)
1968 昭和43年
- 5月6日 厳原病院が外科と内科で診療開始(ベッド数55)
- 5月12日 対馬縦貫道が全線開通
- 8月16日 台風7号対馬上陸(平均風速28m、瞬間最大風速47m)
- 10月11日 壱岐・対馬が国定公園に指定
- 10月16日 中曽根運輸大臣が来島
- 10月28日 町長選挙、現職一宮源太郎氏が再選
- 対馬ビジターセンターの建築はじまる
- 床屋改良住宅の建設(~昭和46年、鉄筋コンクリート4階建192戸、3億5535万円)
- 佐須保育所の建築(木造平屋建900万円)
- 宮前橋の架替(L=50m、2,144万円)
- 金田校給食施設の建築(550万円)
- 県営豆酘地区パイロット事業(~昭和47年、みかん山の造成61.03ha、2億4695万円)
- 第1次林業構造改善事業(~昭和45年、林道内山在家線などの開設、7,000万円)
1969 昭和44年
- 6月8日 協立病院長の古藤満氏が名誉町民に
- 7月2日 博多~対馬間にあそう丸(1,000t)が就航
- 8月24日 対馬ビジターセンター落成式
- 9月13日 厳原幼稚園(鉄筋コンクリート2階建、2737万円)の新築落成式
- 佐須川流域に多量のカドミウム検出
- 厳原小学校へき地集会室の建築(鉄筋コンクリート2階建、3,384万円)
- 厳原幼稚園の建設(鉄筋コンクリート2階建、2,737万円)
- 上見坂観光道路の改良舗装(L=1,260m,489万円)
- 第4次漁港整備(~昭和47年、尾浦・安神・久和・内院・瀬・上槻・阿連の各漁港、6億1,706万円)
- 第1次農業構造改善事業(~昭和45年、内山地区草地造成20.0ha、1,038万円)
1970 昭和45年
- 2月20日 自動ダイヤル式電話になる
- 10月1日 国勢調査(人口20,897人、世帯数5,998)
- 11月10日 都はるみと津島一郎の歌謡ショウ
- 12月 厳原裁判所の武家門(旧・日新館の正門)を撤去
- 町内の橋の架替が急ピッチで行われる
- へき地教育住宅の建築(7戸、1,176万円)
- 厳原塵芥焼却場の建設(処理能力20t、3,805万円)
- 久根へき地保健福祉館の建設(コンクリートブロック平屋建、552万円)
- 内院中学校の増築(木造2階建、968万円)
- 浅藻漁民住宅の建設(コンクリートブロック2階建、957万円)
1971 昭和46年
- 8月 玄海体育祭の幕を閉じる(昭和24年から続いた玄海体育祭はこの年の平戸大会を最後に22年間の幕を閉じる)
- 10月30日 対馬空港の起工式
- 11月 異常渇水が続く(この月の降雨量は2ミリ)
- この年から、町内の集落内戦の改良舗装工事が急ピッチで進む
- 村道峰越日掛線の開設(~昭和49年、L=5,010m、6,086万円)
- 厳原隔離病舎の建設(鉄筋コンクリート平屋建、2,056万円)
- 阿連かんがい排水の建設(L=2,227m、556万円)
- 町道椎根鶴桁線の改良舗装(~昭和57年、7,100m、4億4,407万円)
1972 昭和47年
- 3月 厳原町教育史を発行
- 10月15日 現職の一宮源太郎氏が無投票で三選
- 10月30日 博多~厳原間にフェリーつしま(1,560トン)が就航
- 昭和37年度から建設されていた厳原小学校完成(総事業費2億1,700万円)
- 厳原南保育所の建設(コンクリートブロック平屋建、1,325万円)
- 厳原母子健康センターの建設(コンクリートブロック平屋建、1,668万円)
- 町道野良線の改良・舗装(~昭和52年、L=3,911m、1億7,787万円)
- 佐野屋橋の拡幅(L=12m、819万円)
- 豆酘中学校の増築(木造2階建、1,095万円)
- 久田日掛線の改良(~昭和52年、L=4,379m、1億0,653万円)
- 第1次追加林業構造改善事業(~昭和49年、林道鬼がサエ線などの開設、3,400万円)
1973 昭和48年
- 3月 (株)対馬交通のターミナルビルとボウリング場が完成
- 7月10日 全国乾シイタケ品評会で阿連の上野甚之助さんが冬菇の部で2位を受賞
- 12月20日 対馬最大の企業「東邦亜鉛対州鉱業所」が閉山
- 厳原町役場庁舎の建設(~昭和51年、鉄筋コンクリート4階建、4億8290万円)
- 厳原火葬場の建設(5,353万円)
- 町道尾浦線の舗装(L=1,831m、1,441万円)
- 浅藻小学校特別教室の増築(1,197万円)
- 第5次漁港整備始まる(~昭和51年、尾浦・安神・久和・内院・瀬・上槻・阿連の各漁港、8億4,520万円)
1974 昭和49年
- 4月16日 厳原港大橋が開通(L=224.5m、2億1,200万円)
- 6月1日 対馬消防署が発足
- 11月5日 県道対馬縦貫道が国道に昇格(国道382号線)
- 12月9日 厳原町役場新庁舎が完成
- 12月25日 大手橋で火災
- 北厳原生活館の建築(コンクリートブロック平屋建、1,302万円)
- 豆酘塵芥処理場の建設(処理能力5t/日、1,124万円)
- 町道安神線の改良舗装(L=3,310m、3,111万円)
1975 昭和50年
- 3月16日 金田小学校日掛分校が閉校
- 4月28日 厳原~博多間にフェリーはかた(1800t)が就航
- 6月11日 対馬しいたけまつりを開催
- 6月12日 旧・清玄寺の梵鐘が国の重要文化財に
- 10月1日 国勢調査(人口18,460人、世帯数6,756)
- 10月10日 島人待望の対馬空港オープン(福岡~対馬2便就航)
- 11月1日 対馬高校創立70周年記念式典
- 休廃止鉱山公害防止工事(~昭和55年、2億8,472万円)
- 住民スポーツ施設の設置(ナイター照明灯8基、1,000万円)
- 浅藻へき地保健福祉館の建築(コンクリートブロック平屋建、1,466万円)
- 第2次林業構造改善事業はじまる(~昭和53年、協業活動拠点施設、林道スガマ河内線などの開設、1億7,020万円)
1976 昭和51年
- 2月20日 豆酘小学校創立100周年式典
- 4月23日 企業誘致第1号「対馬エフワン」が操業開始
- 8月3日 長崎~対馬間の空路が開設
- 8月8日 町村合併20周年の記念式典を挙行
- 8月25日 豆酘・小茂田地区の電話が自動化
- 10月10日 金田小学校創立100周年式典
- 10月24日 町長選挙で主藤孝氏が初当選
- 12月3日 高松宮ご夫妻が来島
- この年は町内集落線の改良舗装工事が36本も行われる。
- 佐須塵芥処理場の建設(処理能力5t/日、7,182万円)
- 町道豆酘尾崎山線の改良舗装(L=900m、2,000万円)
- 田渕地区の水害対策(~昭和52年、L=762m、3,433万円)
- 林道矢立線の開設
- へき地教員住宅の建築(豆酘6戸、大調1戸、3,622万円)
1977 昭和52年
- 1月11日 椎根の石屋根が県指定の文化財に
- 2月21日 グアム島と対馬が姉妹島締結調印
- 5月2日 町議選が行われ、定員24人に31人が立候補
- 柳ノ元公営住宅の建設(2棟40戸、鉄筋コンクリート4階建、2億5,826万円)
- 北幼稚園の建設(鉄筋コンクリート2階建、1億2,483万円)
- 豆酘住民センターの建設(~昭和53年、鉄筋コンクリート3階建、1億4,718万円)
- 金石川都市下水路の整備(~昭和54年、L=650m、1億1,745万円)
- 第6時漁港整備始まる(~昭和56年、尾浦・安神・久和・内院・瀬・阿連の各漁港、24億2,193万円)
1978 昭和53年
- 5月14日 町長選挙が行われ、長九郎氏が初当選
- 8月4日 国定公園指定10周年の記念式典
- 9月 対馬高校の新校舎が完成
- 10月12日 厳原幼稚園創立60周年の記念式典
- 12月2日 県立対馬歴史民族資料館が完成
- 12月20日 豆酘住民センターの落成式
- 桟原公営住宅の建築(4棟64戸、鉄筋コンクリート4階建、4億8,475万円)
- 久田小学校の新築(~昭和54年、鉄筋コンクリート3階建、3億0,210万円)
- 日吉台都市公園の整備(展望台など、8,055万円)
- 久之恵橋の架替(L=45.6m、4,680万円)
- 久根浜・椎根浜老人憩いの家の建築()木造平屋建、1,784万円
1979 昭和54年
- 2月15日 厳原町漁業協同組合が農林水産大臣賞を受賞
- 3月 桟原公営住宅が完成
- 8月9日 対馬と姉妹島であるグアムの一行が来島(親善少年野球大会開催)
- 10月23日 佐須地区鉱害田の復旧工事始まる
- 11月18日 厳原町内の中学生を集め「少年議会」を開催
- 厳原塵芥処理場の建設(~昭和55年、処理能力25t/日、3億5,809万円)
- 桟原公営住宅の建築(3棟48戸、鉄筋コンクリート4階建、3億4,755万円)
- 久田幼稚園の建設(軽量鉄骨造、2,950万円)
- 内山老人憩いの家の建築(木造平屋建、1,030万円)
1980 昭和55年
- 2月25日 厳原町総合計画を作成
- 3月23日 日本消防協会会長・笹川良一氏が来島
- 8月3日 厳原港まつり(170年ぶりに李朝通信使行列を再現)
- 10月1日 国勢調査(人口18,564人、世帯数6,089)
- 11月21日 厳原塵芥処理場が完成
- 厳原総合公園の用地取得(~昭和57年、96,277平方m、5億4,099万円)
- 厳原町立北小学校用地造成(17,992平方m、9,790万円)
- 豆酘幼稚園の建築(鉄筋コンクリート平屋建、8,788万円)
- 公営住宅の建築(増田母子住宅など、1億2,030万円)
- 阿須湾地区漁場の造成
- 豆酘アワビ種苗センターの建設(鉄筋スレート平屋建て、4,506万円)
- 林道峰越日掛線の舗装(~昭和60年、L=5,010m、1億3,756万円)
- 久和漁港関連道の整備(~昭和56年、L=413m、8,531万円)
- 久和生活館の建築(鉄筋コンクリート平屋建、2,493万円)
1981 昭和56年
- 4月 国立対馬病院が新築移転、診療開始
- 5月17日 町議会議員選挙が行われ、定員24人に28人が立候補
- 7月 フーテンの寅さんシリーズ「男はつらいよ」の対馬ロケ
- 9月 B&G財団厳原海洋センターの建設はじまる
- 下対馬開発総合センターの建設(~昭和57年、鉄筋コンクリート3階建、5億0,309万円)
- 北小学校の建設(鉄筋コンクリート3階建、3億3,162万円)
- 今屋敷児童公園の用地取得と整備(~昭和58年、968平方m、1億0,842万円)
1982 昭和57年
- 2月 北小学校が完成
- 2月4日 佐須地区復旧田の新米試食会
- 3月 県下インディアンカ大会で厳原地区婦人会が優勝
- 4月25日 町長選挙、現職・長九郎氏が再選
- 9月26日 下対馬開発総合センター(文化会館)の落成式
- 11月21日 産業祭り 町いいたけ生産部会が発足
- 青空市が始まる
- 佐須支所・多目的研修施設の建設(鉄筋コンクリート2階建、8,798万円)
- 佐須地区体育館の建設(鉄骨造、8779万円)
- 厳原消防格納庫詰所(厳原第3・第5分団)の建設(鉄骨2階建、3,418万円)
- 第7次漁港整備始まる(尾浦・安神・久和・内院・瀬・上槻・阿連の各漁港)
1983 昭和58年
- 2月 新対馬空港ターミナルビル完成
- 4月 ジェット旅客機B-737が就航
- 5月29日 軟式野球高松宮賜杯B級県大会で「海王」が初優勝
- 7月26日 高田勇県知事を囲んで「ふるさとづくり懇話会」
- 8月2日 町畜産部会が発足
- 10月4日 県婦人会バレーボール大会で厳原地区婦人会が初優勝
- 12月 今屋敷児童公園が完成
- 総合公園野球場の建設(~昭和60年、12,000平方m、5億7,400万円)
- 町民体育館の建設(鉄筋コンクリート2階建、3億9,839万円)
- 久田小学校の増築(鉄筋コンクリート2階建、5,134万円)
- 清水丘ひろばの整備(ナイター設備など、3,432万円)
- 町道大板線の改良舗装
1984 昭和59年
- 3月 「福祉の里」構想がまとまる」
- 4月21日 町民体育館の落成式
- 5月21日 「福祉の里」用地造成始まる
- 7月 いづはら城下市の開始
- 8月2日 カッパ騒動
- 8月14日 サマーフェスティバルイン上見坂
- 10月13日 厳原中学校の新築始まる
- 11月3日 町民運動会・ふるさと文化まつり
- 11月23日 産業まつり
- 12月6日 清水山城跡が国指定史跡に
- 厳原病院等建設の用地造成(~昭和60年、31,136平方m、3億0,200万円)
- 厳原中学校の新築(~昭和60年、鉄筋コンクリート3階建2棟、8億4,240万円)
- 志賀鼻休憩所の整備(165平方m)
1985 昭和60年
- 2月18日 対馬藩主宗家墓所が国指定史跡に
- 2月23日 町並みシンポジウム「石屋根、石垣は残れるか」
- 4月 厳原町商工会館が完成
- 4月14日 大型観光船サンフラワー7号が厳原港に入港
- 6月21日 対馬地方に豪雨(16日間で年平均降水量の約70%にあたる1,546ミリを記録)
- 8月12日 木原光知子さんの講演会
- 10月1日 国勢調査(人口18,044人、世帯数6,185)
- 10月19日 対馬で初めての県下郡市対抗ソフトボール大会
- 11月23日 厳原町漁協久根浜支所青年部の「ポリサルによるヒジキの増殖」が天皇賞に輝く
- 12月4日 加藤防衛庁長官が来島
- 尾上橋の新設(L=17.5m)