島山のハンマーヘッド 四十八谷砲台

2024/08/17

四十八谷(しじゅうやたに)砲台について

 明治30年代の対馬では、日清戦争(明治27(1894)~同28(1895)年)の勝利や、竹敷海軍要港部の設置(明治29(1896)年)を経て、浅茅湾防衛のさらなる重要性が増していました。
 四十八谷砲台は、対馬の砲台整備の第2期(明治31(1898)年~同39年(1906)年)としては、最初に着工・竣工した砲台です。

 浅茅湾(あそうわん)の中央に、北北東~南南西に1.7kmほどハンマーヘッド状に延びた尾根の地形を利用し、標高20mの低地に28cm榴弾砲が6門で設置されました。
 西方海上の敵艦を攻撃するには標高100m以上の尾根を超える必要があり、尾根が壁となり反撃を受けにくいためか、平地に6門が並ぶという、他に例がない不思議な構造です。

 島山は対馬本島と離れた離島で、明治期はもちろん、近年まで漁船や渡船を利用する必要がありましたが、平成6(1994)年に「浅茅パールブリッジ」が完成し、本島と陸続きになりました。
 ただ、砲台跡は島山半島の最西部にあるため、船やシーカヤックなどを利用するか、砲台跡・海軍衛所までは難路を片道5kmほど歩く必要があるなど、対馬の砲台のなかでは訪問難易度がもっとも高いもののひとつです。

基本情報

名称

 四十八谷(しじゅうやたに)砲台

所在地

 長崎県対馬市美津島町島山、浅茅(あそう)湾内の半島部  >>Googleマップ

起工

 明治31(1898)年8月

竣工

 明治33(1900)年3月

備砲

 28㎝榴弾砲×6門

アクセス

観光情報館ふれあい処つしま~登山口まで23.3km(車移動可)
→ 登山口から砲座・観測所・水雷衛所などの関連施設までトレッキング(難路)5.0km

登山口~四十八谷砲台・海軍衛所まで5.0km(徒歩のみ)

所要時間など

観光情報館ふれあい処つしま((一社)対馬観光物産協会)
↓ 車で30分(23.3km)
美津島町島山の登山口(駐車)
↓ 徒歩75分(4.0km)
四十八谷砲台(砲座・左翼観測所・右翼観測所)
↓ 徒歩25分(1.0km)
海軍水雷衛所
↓ 徒歩100分(5.0km)
美津島町島山(乗車)
↓ 車で30分(23.2km)
観光情報館ふれあい処つしま((一社)対馬観光物産協会)

※上記所要時間は、休憩・見学をのぞく移動時間です。見学時間を適宜追加してください。
※明確な登山道はなく、急傾斜があるなど、登山経験者向けです。

※(一社)対馬観光物産協会は、「観光情報館ふれあい処つしま」(長崎県対馬市厳原町今屋敷672番地1)にあり、厳原港から車で北に3分、対馬空港からは車で南に20分です。

四十八谷砲台への道

観光情報館ふれあい処つしま

 観光情報の提供、パンフレットの請求はこちらまで。
【所在地】 〒817-0021
長崎県対馬市厳原町今屋敷672番地1
観光情報館ふれあい処つしま(一般社団法人 対馬観光物産協会)
【電話】 0920-52-1566
【アクセス】 厳原港から車で3分(徒歩10分)、対馬空港から車で20分。

国道382号から浅茅パールラインへ

 美津島町玉調(国道382号)から浅茅パールラインに入り、美津島町島山へ。

 平成6(1994)年に完成したパールブリッジにより、対馬本島と島山は陸続きになりました。

徒歩で四十八谷砲台へ

 痩せ尾根を一路、四十八谷砲台へ。

 陸軍の境界標石(通称、陸防)が見つかると、砲台が近い証拠です。

 無名85mピークから、浅茅湾の眺望。

 85mピークにある掘削跡。防御陣地?

 85mピークから船着場へ降りていく急斜面。細心の注意が必要です。

 船着場(仮称)が見えてきました。

 船やシーカヤックが利用できる場合は、ここからアクセスできます。

 船着場から標高10mまで登ると、謎の石材がありました。門柱なのか、土台?なのか。

 砲台につきものの三点濾過式井戸です。三区画の沈殿槽で濾過し、写真の左上には汲み取り口が見えています。

 レンガ造りの弾薬庫です。2部屋が連結し、三角形の屋根が特徴。

 右側弾薬庫の内部構造です。かまぼこ型で、奥に隣室への通路があります。湿気予防や明るさ確保のためか、漆喰(しっくい)が塗られています。

 標高20mにある、28センチ榴弾砲の砲座です。通常は、2門1組で横墻(おうしょう。防御用の盛土・石積み)により区切られ、敵の攻撃による被害を最小限に抑えるような構造になっていますが、ここでは6門並列で配置されています。

 6門の砲座の先に翼墻(よくしょう。防御用の盛土・石積み)がありましたが、石材ははぎ取られていました。戦後に剥がれたのか、明治期に他の場所に転用されたのか・・・。

 二連弾薬庫の三角屋根の上には、突起状の構造物が。

 砲台は陸軍の施設で、軍事境界標石として「陸防」が設置されていますが、水雷衛所など海軍施設の周辺には「海軍用地」の石標が設置されています。

 石段を登っていくと・・・

 棲息掩蔽部が出現。

 石とレンガの調和が美しいです。

 内部はカマボコ型で、こちらも漆喰が塗られています。

 レンガの大きさは、長手(長辺)21cm×小口(短辺)10cm×厚み6cmで、よく見ると、1列が長手のみ、次の列が小口のみ、また次の列が長手のみになっており、イギリス式の積み方であることがわかります。

 右翼観測所。明治期の観測所は、台座が3本の石柱(応式測遠機)のタイプと、レンガの円柱(武式=ブラッチャリーニ式 測遠機)のタイプがありますが、落葉が積もり、どちらかは不明でした。

 観測所横にあるのは司令所でしょうか。

 右翼観測所からの眺め。浅茅湾の西口から侵入してくる敵艦を、真正面で観測できます。

 城山砲台およびその先の白嶽まで見通しがききます。

 尾根に沿って軍道が整備され、馬車の脱輪予防?の石柱が並んでいます。

 先に進むと、右翼と同じような構造の左翼観測所・棲息掩蔽部・司令所が出現。
 左右の観測所を利用して、いわゆる三角測量を行い、敵艦までの方位・距離を測定していたようです。

 登り口からここまで片道4㎞。尾根を歩き、海岸部の海軍水雷衛所まで行くならさらに片道1km。
 残りの体力や時間を考えながら、進退の判断をお願いします。

 尾根上にある左翼観測所から海岸部まで降りていくと、海軍用地標石が現れ、建物の基礎のようなものがありました。

 そして、曲線が美しいレンガの建造物が出現。海軍の水雷衛所(水雷の管理を行う施設)で、全国的にも非常に珍しいもの。厳密には四十八谷砲台(陸軍)の施設ではありませんが、あわせて見学したいところです。

 100年以上の時が過ぎ、台風や大雨、風雨の影響などで崩壊が進んではいますが、当時の科学技術を今に伝える貴重な遺構だと思います。

 ハンマーヘッドの南西端から見た浅茅湾西口です。

 四十八谷砲台は、砲座、観測所、棲息掩蔽部、海軍の水雷衛所など見どころが多いのですが、徒歩で訪問すると往復10㎞にもなり、十分な装備、山歩きの経験、訪問の季節や天候判断など、難易度が高いものになります。

 訪問の際は、帰路の体力や残り時間を考慮し、安全確保に十分ご注意ください。

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