「対馬の大自然観察会 ~アカハラダカと縄文の森とツシマヤマネコ~」イベント報告
こんにちは、観光担当Nです。
2011年9月17日(土)、対馬観光物産協会厳原支部主催の「対馬の大自然観察会 ~アカハラダカと縄文の森とツシマヤマネコ~ 」(共催:環境省 対馬野生生物保護センター)を開催しました。
アカハラダカは、中国・朝鮮半島・ロシアなどで繁殖し、9月ごろ朝鮮半島から対馬を経由して東南アジア、赤道付近まで渡っていく小型型のタカです。
厳原町内山峠は、多い年には1ヶ月で10万羽以上、1日で1万羽を超えるアカハラダカが観察されることもある日本最大の観察地です。
・・・が、この日はどんよりと霧がでて、雨まで降ってきました(-_-;)
対馬野鳥の会のみなさんの観察結果です。
1万羽超から観察不能まで、変動がかなりあります。
詳しい情報は、対馬野鳥の会会長の通信使さんのサイトをご覧ください。アカハラダカ以外の対馬の野鳥情報も満載です。
鮎もどし自然公園の駐車場では、野鳥専門の旅行会社ワイバードの皆さんがアカハラダカを観察中でした。
鮎もどし自然公園のビジターセンターで、対馬野生生物保護センターのIさんに対馬の自然とヤマネコについて説明していただきました。
いざ、龍良山へ。
Iさんのガイドで、龍良山を歩きます。
シイ・カシ・ヤブツバキなどで構成される常緑の照葉樹原始林は、かつては西日本一帯に分布していましたが、耕作・開発などの人間の活動によりほぼ姿を消しています。
弥生時代以降、日本人は、炎と鉄を使って原始の森を切り開き、里山に変えていきました。
龍良山は、強力な信仰のタブーによって守られ、原始の森が90haにわたって残存する希少な「縄文の森の生き残り」なのです。
今回は登山イベントではないので、登山口で折り返し、原始の森の雰囲気を楽しんでいただきました。
さて、次に一行が向かったのは「日本の里百選・豆酘(つつ)」です。
古代米といわれる赤米栽培が神事とともに伝わるなど、歴史ある対馬の集落の中でも特に古く、固有の歴史と民俗が受け継がれています。
多久頭魂(たくずだま)神社です。
平安時代に朝廷がまとめた「延喜式」『神名帳』には、九州全体で107の格の高い神社が記されていますが、対馬は九州最多の29社を誇る「神々の島」といえます。
多久頭魂神社の境内にある高御魂(タカミムスビ)神社には、日本神話最高位の神様の一柱であるタカミムスビが祭られています。
ご神木のクスノキ「お堂のクス」です。
日本で巨木が多く残っているのは、白神山地・屋久島・龍良山などの数少ない原始林や、神社・寺院などの社叢です。
どんなに巨大な樹木も、信仰によって守られていなければ、すぐに切られてお金に換えられてしまうのかも知れません。
おまけ。対馬の「オソロシドコロ」の1つです。
かつて、豆酘は対馬固有の天道信仰の中心地で、龍良山はその神域でした。
龍良山南面の八丁郭(はっちょうかく。八丁角とも。浅藻集落の奥)、北面の裏八丁郭(龍良山中)、そしてこの多久頭魂神社境内の一部がオソロシドコロとして俗人の立ち入りが禁じられていました。
「ビートたけしのアンビリーバボー」という番組で取り上げられ、その日のヤフーのキーワードアクセスランキングでぶっちぎりの1位になりました(^^;)。
対馬の89%は山地で、農耕地は少ないのですが、豆酘にはかなりの面積の水田があります。
注連縄(しめなわ)で結界が張られた水田の一部(神田)で、赤米が栽培されていました。ちょうど実りの季節で、稲穂にやや赤みが感じられます。
「米」は、少人数で狩猟生活を送っていた縄文人の時代を終わらせ、われわれの祖先の生活を一変させた穀物でした。
森はかつて、食料、燃料、家屋・土木・道具などの材料を生み出す大切な存在でした。
戦後のエネルギー革命(森の木々から化石燃料・プラスチックへ)により、たった数十年でその役割の多くを失い、森と人との関係は希薄化しています。
縄文の森と弥生の里を歩き、人と動植物と自然環境の問題を、見つめ直してみませんか?