白嶽

石英斑岩(せきえいはんがん)

石英斑岩について

 マグマが冷えてできる「火成岩」は、岩石の組成(鉱物)や冷え方(地下でゆっくり冷える=深成岩、噴火などで急激に冷える=火山岩、その中間=半深成岩)により種類が分かれ、色調や比重なども異なります。

 石英斑岩は、組成は流紋岩(火山岩)や花崗岩(深成岩)と同じく、石英・カリ長石・斜長石などで構成され、色調は白っぽく、比重は軽い、半深成岩です。

図 火成岩の分類(山口県立山口博物館WEBサイト)

岩石の分類(地質調査総合センターWEBサイト)

霊峰・白嶽(しらたけ)

霊峰・白嶽(雌岳)

 濃緑の原生林から突きだした岩峰が特徴的な、対馬を代表する名山です。
 石英斑岩の岩肌は、太陽の光を浴びると白く輝き、古くから修験道の霊峰として知られてきました。

古代山城・金田城(かねだじょう/かなたのき)

金田城・東南角石塁

 白村江の戦い(663年)に敗れ、国防の最前線となった対馬に、667年に築かれた古代山城です。
 築城命令者は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、のちの天智天皇)。

 浅茅湾(あそうわん)に突きだした石英斑岩の半島・城山(じょうやま)の地形と地質を活かし、約2.2kmにわたって石英斑岩の石塁がめぐらされています。
(石塁2.2km+天然の断崖絶壁0.4km=総延長2.6km)

鋸割岩(のこわきいわ)

 城山の北端に大吉戸(おおきど)神社の対岸に、浅茅湾内の名所・鋸割岩(のこわきいわ)がそびえています。高さはおよそ40mの石英斑岩のかたまりで、シーカヤックで近くから見上げると大迫力です。

城下町の石垣

 対馬藩主・宗(そう)氏の城下町エリア(現・厳原(いづはら)中心部)では、金石城(かねいしじょう)や桟原城(さじきばらじょう)の城壁、また武家屋敷の防火壁として石英斑岩が多用されています。

 石切り場は桟原城の近く、渡辺菓子鋪の裏にありました。

 また、厳原町久田で採石されるデイサイトも使われており、白い石英斑岩と、酸化して赤褐色になったデイサイトの石垣が城下町を印象付けています。

石焼(いしやき)料理

 熱に強く割れにくい石英斑岩を長時間熱し、その上に旬の魚や野菜をのせると、輻射熱(遠赤外線)で食材が内部からふっくらと焼きあがります。

 美津島町根緒(みつしままちねお)の漁師が、焚き火で熱せられた石英斑岩で魚を焼いたのが発祥とされる、対馬の郷土料理です。