対馬砲台群を歩く 「城山砲台・城山付属堡塁編」
こんにちは、イベント当日に雨雲を召還できる男、観光担当Nです。
2011年12月3日(土)、中対馬地区ガイド養成事業の一環として、美津島町黒瀬城山(じょうやま)の城山砲台・城山付属堡塁(ほうるい)の現地確認を行いました。
城山・城山付属の両砲台は、日露戦争にそなえて明治30年代に築かれた第2期の陸軍要塞です。
西暦667年に天智天皇が築いた古代山城・金田城(かなたのき)を明治の陸軍が再整備し、1200年の時を超えて復活したことになります。
ちなみに、「砲台」の目的は主に海岸に接近する軍艦への攻撃ですが、「堡塁」の目的は上陸してきた敵兵の侵攻を阻むことです。
城山登山口にて。今回は、ふだん行かない付属堡塁を目指すので、念入りに準備運動です。
金田城は来年、国の特別史跡に指定されて30周年を迎えます。10月には対馬で古代山城サミットが開催される予定です。
幅3mの軍道が山頂近くまで整備されており、絶好のトレッキングルートになっています。
1350年前に防人(さきもり)が築いた石塁(せきるい、城壁)が残されています。
城山は巨大な岩石の塊です。明治の工兵は、岩盤に穴を空け、発破をかけ、沢に石を積み、軍道を作りました。
道路崩壊の原因となる水の処理も見事です。
ドリルの跡です。もともとの工期は明治34年6月でしたが、あまりに岩盤が硬く、9月まで延長し、さらに50日延長して11月に完成しました。
山頂近くの石が積まれた三叉路を奥に進むと、棲息掩蔽部(弾薬庫など)が姿を現します。
そのまま南に進むと、城山付属堡塁への道。
ところどころ浅茅湾を一望できます。
城山付属堡塁の棲息掩蔽部も、イギリス積みのレンガづくり。
砲座跡(山頂)の前は断崖絶壁。最高の眺めでした。しかも、お弁当タイムには、翼を拡げると2mを超える大型猛禽類オオワシ(オジロワシだったかも)が舞うというサプライズも。
オオワシ・オジロワシは冬に対馬に飛来しますが、今年は初めて見ました。
城山付属堡塁 9cm臼砲4門、起工:明治33年4月、竣工:明治34年11月。
そして一行は城山砲台へ。
城山の右翼観測所は、姫神山砲台のレンガ円柱タイプとは異なり、石材3本柱タイプ。
砲座は、28センチ榴弾砲2門×2。巨砲の土台なので、堅牢な作りです。
砲台跡から少し登ったところにある城山山頂。この日は韓国の陸影まで見えました。
山頂の竹やぶの奥に、明治の皇族・北白川宮能久親王(きたしらかわのみやよしひさしんのう)の石碑。
世が世なら明治天皇になっていたかもしれず、留学先のドイツでは貴族の未亡人と恋に落ち婚約(のち破談)、日清戦争後に軍人として台湾に出征し、そこで病没するという激動の生涯でした。
こうして現地確認が終わったのでした。城山山頂までは往復5.4キロ、付属堡塁までは+2.4キロです。付属堡塁は、雑草の少ない11月~3月ころまでがお勧めです。
城山砲台 28センチ榴弾砲4門、起工:明治33年4月、竣工:明治34年11月。
【交通アクセス】
厳原港→(国道382号線を北上9.3km)→十八銀行美津島支店前交差点(西に進んで県道24号線を6.2km)→箕形・竹敷交差点を箕形方向に直進→県道24号線城山入口(舗装・未舗装の管理道を1.8km)→城山入口(看板あり)→徒歩2.2km→城山砲台・城山付属堡塁分岐点→(徒歩0.2km)→城山砲台→(徒歩0.2km)→城山山頂
※砲台・堡塁分岐点から、堡塁側(南)へ1.2km進むと城山付属堡塁。
※対馬空港から十八銀行美津島支店前交差点までは、県道64号線を南下1km、右折して国道382号線に進み南下2km
Googleマップ
>>対馬砲台群・砲台マップ「城山砲台・城山付属堡塁」