根緒三砲台と謎の観測所とロングトレイルについて
こんにちは、マニアック担当・局長Nです。
神社とか砲台とか登山とか、偏った問い合わせ(失礼)があると、私にまわってきます(^^;)
さて、そんな私が細々と続けているマニアック路線のひとつ「対馬要塞・砲台群」についての報告&新情報です!
昨年11月、協会スタッフが「えっ?本当にやるんですか?!( ゚Д゚)」と懸念する中、「根緒(ねお)三砲台トレッキングイベント」(当協会ブログ)を実施しました。
今回の訪問地・美津島町根緒(みつしままち・ねお)(Googleマップ)は、厳原町中心部の城下町エリアと、美津島町の中心部・鶏知(けち)の間に位置し、朝日が綺麗な地域です。
根緒は立地上、通過地点になりがちで、訪問したことがないという人も意外に多いのですが、日露戦争が迫る明治期には、厳原と鶏知を守る防衛拠点という意外な顔をもっていました。
幕末、東アジアの植民地化をもくろむロシアは対馬に圧力をかけ( ロシア軍艦対馬占領事件(Wikipedia) )、明治政府は対馬西側からのロシア軍の接近に備え、根緒に砲台を3つ建造しました。
上見坂(かみざか)公園側からは立ち入り禁止になっており、訪問できない状態でしたが、昨年から何度か現地調査を行い、旧国道からアクセスするルートを確認したため、今回、イベント実施の運びとなりました。
参加者は、お客様12名に対し、行ったことがないので休みだけど行きます!というスタッフ6名の計18名。
「日程があわず参加できなかったけど、情報がほしい」という問い合わせも何件かありました。
根緒砲台は軍事境界標石(通称・陸防)の宝庫です。昭和の陸防はセメントですが、明治のものは石で、テンションがあがります(謎)
砲台への物資輸送には馬車を使ったため、緩傾斜の軍道が整備されています。
明治政府が国防のため技術・予算をつぎこんだ砲台跡は堅牢で、100年以上の風雪にも耐えてきました。
28センチ榴弾砲の砲座と、
「砲台の眼」である観測所、
井戸も綺麗に残っています。
(100年以上前のものなので、井戸の上部には絶対に乗らないでくださいね)
軍事施設は、戦争の負の遺産として見られがちですが、近代土木遺産として、また対馬の歴史を伝える証人として、後世に残していくべきものだと感じています。
今回の根緒三砲台トレッキングは、厳原港と対馬空港の間にあるという立地条件、保存状態のよさ、砲台・堡塁のどちらも観察できる点などから、比較的利用しやすいコースだと感じました。
(季節の選定や、駐車場・誘導板などもう少し整備が必要ですが)
おまけ
根緒砲台には一部海が見えない(死角がある)という欠点があり、それを補うため、南方2キロの山中に別の観測所を設置し、当時の最新鋭技術である無線(と有線)で通信を行っていた、という情報があったので、年明けに行ってみました。
厳原町の清水山から見た、白水山(右の綺麗な円錐)と観測所の山(左の連山)。中央奥に見えている半島が大梶岳。
途中、いろいろ面白いものを発見したので紹介します。
厳原町曲(いづはらまち・まがり)の白崎大明神の磐座(いわくら)です。神が宿るとされる巨石で、神社の原型でもあります。
名花ダンギクも多く(今はドライフラワー状態でしたが)、秋には植物観察も楽しめそうです。
情報通り、高平山北方の無名山ピークにあった根緒砲台の観測所。きわめてよい状態でした。
で、このまま帰るのも何だし(殴)、ここから1.1km先の大梶岳(おおかじだけ)まで足を伸ばしてみました。
(マネしないように・・・)
対馬海峡に突き出した大梶岳からの眺望。
心が解放される絶景でした。
地図の左上が根緒三砲台コース、真ん中下が観測所+おまけコースです。
ん? 地図を見ていると、観測所から根緒砲台に直接つながるルートがあるような気がしてきました(わかりますか?)。
おそらく明治期の軍が使っていた道で、その先は上見坂につながっているので、対馬全体をつなぐロングトレイルの一部になりそうです。
それはまた別の機会に・・・。