対馬砲台群を歩く~誉(ほまれ)ポテチと海軍要港部~
こんにちは、「対馬砲台あるき放題」(対馬の砲台に特化したマニアックパンフ)から9年、何度目かの砲台熱に取り憑かれているエヌです。
かつて海路で行った「四十八谷砲台」に、陸路から挑んでみようかな~、とひそかに検討中です。
さて、今回は、ポテトッチップスと明治時代の対馬の海軍施設のお話です。
今年も、「対馬の浜御塩(はまみしお)」を使った「夏ポテト」(カルビー)が発売されましたが、
対馬の元寇を扱ったゲーム「ゴーストオブツシマ」の主人公・境井 仁(さかい じん)の名言
誉(ほま)れは浜で死にました
さらに敵役・コトゥン・ハーンの名言
誉れでも食って飢えをしのぐがよい
と「浜御塩」をひっかけ、
誉ポテチ
と呼ばれ、ファンの間で人気を集めています。
この「浜御塩」を製造している「株式会社 白松(はくまつ)」さんの塩工場があるのが、対馬市美津島町竹敷(つしまし・みつしままち・たけしき)なのですが、
>>「恵みの歳時記 対馬の塩」(長崎県広報誌「ながさき にこり」)
竹敷地区は、明治時代に、日本最初の海軍要港部があった重要拠点で、現在でも海上自衛隊対馬防備隊本部が置かれ、竹敷工場の近く(というか、ほぼ同じ場所)の「深浦水雷艇隊基地」跡は、近代土木遺産Aランクに指定されています(すごいぞ!)。
>>要港部 (Wikipedia)
さらに!
竹敷で水雷艇隊・駆逐艦隊を率いて日清戦争・日露戦争の勝利に貢献した鈴木貫太郎は、のちに昭和天皇の意向を受けて戦時体制最後の総理大臣となり、太平洋戦争を終戦に導きました。
>>「日本のいちばん長い日」と鈴木貫太郎について(エヌの世界ブログ 2015/08/10)
ゴーストオブツシマは鎌倉時代の元寇のお話ですが、浜御塩が生み出されている竹敷は、明治の日清・日露の「誉れ」に関係する場なのでした。
このくだりは、NHKドラマ「坂の上の雲」と、「日本の一番長い日」(2回映画化)などで紹介されているので、誉ポテチを食べながら見てくださいね。
で!
先日、白嶽(しらたけ)周辺をウロウロしていて、この海軍の拠点「竹敷」に水を供給するための施設をいくつか見つけたので、紹介です。
歩きはじめと目的地が離れているので、目的地近くの「しらたけエコーライン」に自転車を設置。
地図で気になっていた貯水池に到着。
古い給水管がありました。
明治のころ?の石積みが残っています。
今回は山の斜面を強引に歩いて先に進みましたが、別ルートで迂回しないとちょっと危ないです。
レンガの謎の構造物。高さは1.5mほどで、左側につながる橋桁っぽい感じ。
軍道っぽい道を進んでいくと・・・
海軍の軍事境界標石、通称「海防」を発見。海軍の軍道でした。
右に1.0km進むと白嶽の登山口ですが、今回は左側、渓流沿いに進みます。
古い給水管がところどころ露出しています。
またまた海防。
しらたけエコーラインに合流しましたが、もうちょっと進みます。
そのまま歩いていくと、「中部地区簡水洲藻第1水源 立入禁止」と書かれたフェンスが。
明治時代の水源が現在も使われていたことに驚きつつ、自転車を置いた展望所まで歩いて戻りました。
国防の最前線・対馬には、
7世紀の「白村江の戦い」(と金田城築城・防人派遣)、
鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)、
室町時代の応永の外寇(朝鮮水軍の対馬侵攻)、
戦国末期の文禄慶長の役(豊臣秀吉の朝鮮出兵)、
明治期の日清・日露戦争、
昭和期の太平洋戦争(豊砲台)、
などあまたの攻防の歴史が刻まれているのですが、
明治期の軍事施設もまだまだいろいろ眠っているのでは、と感じました。
ちなみに、2月にさまよった尾崎半島(美津島町)の桶尻山(聖山)の謎の施設は、海軍の臨時砲台だったようです。
>>国境の島・対馬の砲台めぐり 聖地・尾崎半島探検~多功崎砲台・樫岳砲台・樋尻山編~(YAMAP 2021.2.13(土))
さらに、5月には見世浦(豊玉町)で石切場を発見しました。
奥が深いなあ(-_-;)