アナザーストーリー「小船越」(こふなこし) ~日本最初の寺と太陽神の集落~
こんにちは、エヌが趣味と妄想とストレス解消でお届けする(殴)、対馬歴史異聞伝(いぶんでん)「アナザーストーリー『小船越編』」です。
これをやると確実に睡眠時間がなくなるので、ストレス解消になってるのかさっぱりわかりませんが(-_-;)
さて、対馬の中央に広がる浅茅湾の東岸に、古代から江戸時代まで港町として栄えた「小船越」(こふなこし)という集落があります。
>>対馬観光マップ・小船越 西漕手(にしのこいで)/アマテル神社/梅林寺(Googleマップ)
対馬は、泣く子も黙る荒海・玄界灘(げんかいなだ)と、異国に接する恐ろしい朝鮮海峡(対馬海峡西水道)に挟まれており、対馬の波穏やかな内海・浅茅湾は、まさに海上のオアシスと呼べる天然の良港でした。
小船越には、いにしえの雰囲気をそのまま残す西漕手(にしのこいで)という古代の港跡があります。
ここは、浅茅湾と対馬海峡が接する陸峡部であり、古代より日本本土と朝鮮半島・中国大陸を往来する海上交通の要衝でした。
日本本土からやってきた船はまず鴨居瀬(かもいせ)に着き、岸沿いに小船越へ。
小船越に着くと、小さな船は陸揚げして対岸へ運ばれ、大きな船は人と荷物だけを対岸の別の船に載せて、朝鮮半島・大陸を目指しました。
小さな船が丘を越えていったので、「小船越」という地名になった、とされています。
もちろん、半島・大陸から戻ってくる船は、逆の行程を辿るわけです。
当時の航海は命がけであり、対馬に残る無数の海神系の神社は、海上の安全祈願のために祭られたと考えられています。
>>対馬観光マップ・住吉神社(すみよしじんじゃ)(Googleマップ)
対馬周辺の外洋は、神頼みをしなければ渡れないほど危険に満ちていたのです。
さて、日本最初のお寺の話。
小船越には、日本最初の寺とされる「梅林寺」(ばいりんじ)があります。
日本への公式な仏教伝来は、538年(または552年)、百済の聖明王から仏像や経典が送られたのが始まりとされています。
仏像を捧持する使節は、小船越で上陸し、ここから日本本土を目指すために風待ち・波待ちをする必要がありました。
その間、大切な仏像を粗末に扱うわけにはいかないので、小さなお堂を建てて仏像を保管し、その小堂が日本最初の寺・梅林寺になった、と伝えられているのです。
海を渡った仏像は、在来の神道を信仰する物部氏によって難波の堀江に打ち捨てられますが、聖徳太子の時代に再出現し、やがて本田善光という人物の背中に乗って旅をし、現在の長野県(現在の善光寺)に落ち着きます。
善光寺は、激動の戦国時代には、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの錚々たる面々に信仰され、現在では年間600万人もの参詣者を集める名刹となりました。
面白いことに、善光寺の仏像は自ら絶対秘仏となり、その姿を見たものはいません。
7年に1度、前立観音という、いわばレプリカがご開帳されますが、本尊そのものが実在するのかどうかすら、秘仏ゆえに誰にも確認はできないのです。
日本に渡来し、この国を仏教国家へと導き、戦国武将や天下人たちに信仰され、この国の歴史を変えたともいえる絶対秘仏の旅。
その最初の日本上陸地が対馬であり、小船越だったのです!
・・・嘘だとおもったら、善光寺のホームページを見てみるがいいさ!(殴)
さて、もういい加減文章が長いので「つづく」でもいいのですが・・・。
古代航路の要衝であった小船越には、「アマテル神社」があります。
※「阿麻○留神社」 ○=氏の下に一。
天皇家の祖神である「アマテラス大神」にもよく似た響きで、しかも祭神は「天日神命(あめのひみたまのみこと)」という太陽神なのです。
ちなみにお隣の壱岐には、月神である「月読(ツクヨミ、ツキヨミ)」が祭られており、第23代顕宗天皇の時代(5世紀後半)に、 それぞれの対馬と壱岐の祭祀集団ごと京都・奈良に上京しています。
暴風神スサノオが出雲、太陽神アマテルが対馬、月神ツクヨミが壱岐の出身だとすると、日本神話のアナザーストーリーが見えてくるのですが、もう眠いので、続く!(殴)
あー、対馬の神社ガイドブック、作りたい!(>_<) 絶対!めちゃくちゃ面白いのに!!(殴)
※追加 作りました!
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