「山から見た対馬」 その1 芋崎半島~対馬とロシアについて~
こんにちは、これまでトレッキングや歴史、砲台、神社など対馬のマニアックなネタを追いかけてきましたが、最近また山に回帰しているエヌです。
で、記念すべき第1回は、芋崎半島(長崎県対馬市美津島町昼ヶ浦)です。
歴史背景
対馬には明治から昭和にかけて31ヶ所もの砲台跡があり、海軍の要港部や水雷衛所などさまざまな軍事施設があるのですが、その多くが、いま話題の「対ロシア」に関するものです。
きっかけは幕末、1861年のポサドニック号事件(ロシア軍艦対馬占領事件)。
ロシアが武力で対馬を租借(外国の土地の一部を借り受け、統治すること)しようとして、対馬の一部・芋崎を不法占拠したが、対馬藩・幕府の反発を受け、イギリスの抗議もあって、半年後に対馬を離れたという外交事件です。
→「ロシア軍艦対馬占領事件」(Wikipedia)
外国奉行として対処にあたったのは、司馬遼太郎をして「明治の父」(の5人のうちの1人)といわしめた小栗忠順(おぐりただまさ)なのですが、交渉はうまくいかず、天才・小栗にとっても大きな挫折体験になったようです。
欧米列強の力を再認識した小栗は、横須賀製鉄所(造船所)の建造を強力に推し進め、日露戦争の勝利に貢献(連合艦隊司令長官 東郷平八郎の言)することになります。
幕末の対馬がロシアあるいはイギリスに占領されるおそれがあった、という際どい事件だったのですが、その最初の舞台になったのが、芋崎半島なのです。
芋崎半島の場所
山から見た対馬(芋崎半島、芋崎砲台、大平(低・高)砲台) / エヌの世界さんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
さて、芋崎の登山口は、美津島町昼ヶ浦(集落)の少し手前、道路沿いに説明看板があります。
登山口周辺は作業車(軽トラ)などが利用することがあるので、道路を数十メートル進んだ右手のスペース(2台程度)に駐車しましょう。
芋崎砲台・ポサドニック号事件関連地
登山道は幅・傾斜が一定で、石積みや堀切りもあり、明治期の軍道(馬車道)だとわかります。
芋崎砲台は、日清戦争に備えて明治20年代(第一期)に建造され、対ロシア用に明治30年代(第二期)に改造されています。
レンガ造りの棲息掩蔽部は半地下式で、砲座と掩蔽部が同一平面上に並ぶ姫神山砲台(第二期)より古い形式です。
「砲台の眼」である観測所。
明治期の砲台の多くは大正時代には整理(廃止)されますが、その立地から監視所や高射砲座として利用されていたようで、昭和の太平洋戦争時の記念碑(昭和17年)が残されていました。
ここを守っていた豊島部隊は、のちに長崎の金毘羅山の高射砲陣地に移りましたが、多くの隊員が原爆の犠牲となりました。
芋崎砲台を後にして、海岸部に降りていくと、ポサドニック号事件に関する遺構(井戸など)を見ることができます。
(海岸漂着ゴミがひどい・・・)
さらに芋崎半島を北上していくと、探照灯(サーチライト)があります。ここから夜の海を照らしていたのでしょうか?
芋崎半島の先端部には、芋崎灯台があり、登山なのに海岸の景観も楽しめます。
さて、その帰り道、全体の景観を見下ろせる場所を探し、無名山106mピークに登ってみると・・・
今日歩いたルートが眼下に広がっていました。
新緑の季節だとかなり美しいと思うのですが、3月上旬はまだ冬枯れでした。
おまけ 大平(低)砲台、大平(高)砲台
芋崎を離れ、昼ヶ浦方面に少し車を走らせると、大平(低)砲台ですが・・・
砲台の敷地を道路が横切り、工事によりかなり破壊されています。
(低)砲台から斜面に取りつき、少し登ると軍道があり、大平(高)砲台へと続いています。
レンガと石で構築された砲台跡で、景観も素晴らしいです。
砲座はちょっと雑な作り。12センチカノン砲が4門設置されていたようです。
ポサドニック号事件関連地、芋崎砲台、大平(低・高)砲台などは以前にも「砲台」を切り口に紹介したことがあるのですが、幕末から昭和までの対馬の歴史に触れることができ、景観も素晴らしく、海岸散策も楽しめる有望なトレッキングコースだなあ、と再認識しました。
ただの遠足に終わらないよう、物語をしっかり伝えられるガイドの養成も重要だと感じています。
おまけ もうひとつの始まりの地・大船越(おおふなこし)
対馬とロシアの因縁は、ポサドニック号事件によって幕を開けますが、もうひとつの舞台が大船越(美津島町)です。
村民・松村安五郎は、大船越瀬戸を強引に通過しようとしたロシア兵を阻止しようとして、銃弾を受け、死亡します。現代に例えると、警察官でも自衛官でもない一市民が、外国の兵士によって殺害されるという大事件でした。さらに対馬藩士・吉野数之助も犠牲となりました。
松村安五郎の碑「義烈」(写真左)の揮毫は、陸軍大将・乃木 希典(のぎ まれすけ)。
対馬とロシアの因縁は、日露戦争の対馬沖海戦(日本海海戦)により幕を降ろすのですが、それはまた別の話。
エヌの世界 第1回「対馬の砲台」(YouTube)
ブログカテゴリー「対馬砲台群」より
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