「山から見た対馬」 その2 島山~砲台ハンマーヘッド~
こんにちは、最近また、時間を見つけて対馬の山中をさまよっているエヌです。
前回に引き続き、今回も砲台ネタで、ターゲットは「島山(しまやま)」です。
→「山から見た対馬」 その1 芋崎半島~対馬とロシアについて~(2022/3/28)
島山とは?
島山は、対馬の中央に広がるリアス式海岸・浅茅湾(あそうわん)の東側に浮かぶ大きな島です。
いわば離島のなかの離島だったのですが、平成6年に「浅茅パールブリッジ」が完成・開通し、陸続き(?)になりました。
→浅茅パールブリッジの設計・施工(川田工業株式会社)pdfファイル
島山には、明治期、ロシア軍艦の浅茅湾侵入を抑止するため、「四十八谷砲台(しじゅうやたにほうだい)」が築かれました。
10年ほど前にシーカヤックで訪問したことがあるのですが、今回は陸路で砲台を目指してみました。
島山の場所
山から見た対馬02~島山(曲網代岳・四十八谷砲台・島左近の墓・メボシマ山・御岳)~ / エヌの世界さんの曲網代岳・メボシマ山の活動データ | YAMAP / ヤマップ
曲網代岳(まがらじろだけ)へ寄り道
島山の入口は、万関(まんぜき)から国道382号線を2kmほど北上し、西へ。
(よく「あそうベイパーク」の入口と間違われますが、少し北です)
そのまま西に進み、浅茅パールブリッジを渡ると、島山です。
橋の下は、狭瀬戸(せばせど)と呼ばれる景勝地です。
四十八谷砲台に向かう前に、「曲網代岳(まがらじろだけ)」に寄り道してみました。
伐採作業道が整備され、歩きやすく、解放感があります。地層(堆積岩)なども楽しめます。
そのまま作業道を進むと、曲網代岳の山頂に続く尾根道へ到達。
写真は山頂直下の(かなり)急傾斜ルート。山頂からは緩傾斜ルートもあったので、そちらをお勧めします。
山頂には三等三角点が。眺めもよく、日当たりもいい感じ。
山頂からの緩傾斜ルート。こちらを歩いていくと・・・
ここに出ました。左は山頂直下の急傾斜ルート、右は緩傾斜ルートにつながっています。
四十八谷(しじゅうやたに)砲台へ
さて、今日の主目的地の四十八谷へ向かいます。
ちなみに地名の由来は、島山先端部がハンマーヘッド状になっており、その北東部に48(くらい?)の谷が刻まれている複雑な地形から。
基本的に歩きやすい尾根道を進みます。
三角点はいちおうチェック。
一部、急傾斜もあるので注意です。
眺望は抜群ですが、2月なので山が冬枯れ。新緑の季節はさらに気持ちよいと思います。
四十八谷のハンマーヘッド部です。写真の半島の裏側に、深い谷が刻まれています。
謎の石積み。人工物?岩石が自然に風化してできたもの?
こちらは人為的な石積み。砲台関係でしょうか?
前回、シーカヤックで上陸した護岸へ到着。陸路の場合、この護岸へ降りて行く斜面がまた急でした・・・。
護岸から斜面を登ると、砲台跡へ。
砲台に付き物の三点濾過式の井戸です。
弾薬庫は珍しい双子の三角屋根タイプ。
内部はこんな感じ。
28センチ榴弾砲の砲座は、珍しい6門並列。
棲息掩蔽部。
レンガの積み方は、一列の前面が長辺ばかり、次の前面が小口ばかりのイギリス式。
馬車の車止め、いわば明治時代のガードレールですね。
「海軍用地」。
ほかにもいろいろあったのですが、キリがないので省略・・・・。
海軍・水雷衛所
そして今回の最終目的地、「海軍水雷衛所」です。
海に敷設した機雷が、味方の艦船や民間の船を誤爆しないよう、ここでオン・オフを制御していたとか。
丁寧に積み上げられたレンガが曲線を描き、近代土木建築としても素晴らしいと思います。
内部はこんな感じ。
砲台跡と水雷衛所を堪能したので、ケガをしないよう注意しながら、帰路につきました。いや、こんなところで倒れてても、誰も見つけてくれそうにない からですね(笑)
陸路で行けないこともないのですが、登山口から砲台まで片道3.5km(水雷衛所までは+2.3km)あるのと、無名山85mペーク周辺や船着き場の護岸に降りて行く道がかなりの急傾斜だったのがネックでした。
シーカヤックや船で船着き場まで行ければ、四十八谷砲台と海軍水雷衛所をたっぷり楽しめるのですが・・・うーん。
逆に、おまけのつもりで訪れた曲網代岳は、歩きやすく、雰囲気のよい山でした。
おまけ
島山の海祇(わたつみ)神社の狛犬。
石田三成の参謀・武将 島左近の墓(伝承)。
万関(まんぜき)園地のメボシマ山三等三角点。
万関園地から白嶽・城山(金田城)方向に沈む夕日。
↓対馬の砲台・要塞に興味があるけど、ちょっとハードルが高いなあ、と思っている方にお勧め。対馬要塞も登場します。