対馬要塞地帯標

対馬砲台群を歩く 「四十八谷(しじゅうやたに)砲台編」

2021/07/13対馬砲台群

こんにちは、相変わらず雨男(-_-;)、観光担当Nです。

 2011年11月8日(火)、今年度の重点観光資源である対馬要塞調査の一環として、対馬市美津島町島山(しまやま)の「四十八谷(しじゅうやたに)砲台」の踏査を行いました。

 島山は、1994年に浅茅パールブリッジにより対馬本島と結ばれるまで、浅茅湾に浮かぶ大きな「島」でした。

 四十八谷砲台は、島山の西部にハンマー状に突き出した半島(谷・断崖だらけなので「四十八谷」)にありますが、陸路はなく、船やシーカヤックでしか行くことができません。

 対馬の数多い砲台のなかでも踏査が困難な部類ですが、浅茅湾中央に位置する軍事上の最重要拠点でもあり、不安と期待が入り混じった珍道中(^^;)となりました。

出発準備

 今回は、対馬エコツアーの上野さんにガイドをお願いして、海からのアプローチです。
 島山から出発する予定でしたが、午後から雨の予報(-_-;)のため、最短距離の道路沿いから出発しました。四十八谷までは片道約2キロ。

シーカヤックからの眺め

 道路の下の海岸で、石積み(と水門)を発見。美津島町昼ヶ浦に続く道路は、明治の土木技術に支えられていたのです。

 シーカヤックならではの発見でした。

四十八谷へ

 今回のメンバーは、ガイドの上野さん、砲台兼中対馬ガイド養成担当S(シーカヤックは初体験)、対馬砲台群を歩く 「多功崎砲台・樫岳砲台・郷山砲台編」に続いて参加のA、Nの4人です。

四十八谷へ上陸

 ハンマー状の四十八谷の付根にあたる集浦(あつまりうら)が上陸地点。

 ウォーターシューズからトレッキングシューズへ履き替えます。

軍道の様子

 軍道はこんな感じです。

井戸

 明治期の砲台でよく見かける3点濾過式の井戸を発見。

弾薬庫

 弾薬庫はあまり見かけない三角屋根タイプ。

28センチ榴弾砲・砲座

 このブログですっかりおなじみ「28センチ榴弾砲(りゅうだんほう)」の砲座跡です。

 通常は2門1組ですが、ここは6門が直列に並んでいました。

 標高は約20m。観測所は標高100mにあるので、かなり低い位置から斜め上方に撃ち上げることになります。

海軍用地の石標

 一般的に砲台は陸軍の施設ですが、四十八谷には陸軍・海軍の施設が混在しています。

棲息掩蔽部その1

 山頂(標高約100m)で、芋崎砲台と同じ半地下式の棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)を発見。

 通常は弾薬庫として利用する場合が多いのですが、砲座は80mも下にあるため、別の利用方法があったんでしょうか。

棲息掩蔽部その2

 ほぼ無傷。竣工は明治33年(1900年)なので、約110年の風雪に耐えてきたことになります。

観測所前からの眺め

 観測所の数メートル前は断崖で、眼下に浅茅湾を一望できます。

 この日はあいにくの天気でしたが、晴れた日にもう一度来てみたい絶景でした。

お茶タイム

 上野さんが準備してくれたレモンティーでほっと一息。

軍道と車止め

 もうひとつの観測所へつながる軍道には、石の車止め(馬車の転落防止?)が綺麗に残されていました。

指令所?

 2つ目の観測所には、棲息掩蔽部と指令所?がありました。
 「撃てー!」

浅茅湾を一望

 浅茅湾の西側、朝鮮半島方向に口を開く大口瀬戸です。景観を楽しみながらランチの後、ふたたび海岸へ。

シーカヤックからの眺め

 集浦から南西約1キロの地点にあるもうひとつのターゲットを目指します。

 上陸地点を探してウロウロしているうちに、予報どおり雨が降り始めました(-_-;)

やぶこぎ

 桟橋跡から無理やり上陸したものの、楽勝だと思っていた最後のターゲット直前で、まさかの大苦戦。

 「本当にこれでいいのかー!」「要塞マニアでも行けねーぞー!」「引き返すかー!」「ここまで来たら、行かなたい!」

 もう滅茶苦茶(^^;)

謎の建物その1

 斜面を這い上がり、軍道を発見。その先にはすべてレンガで造られた謎の建物が・・・。

「すげー!」「ラピュタは本当にあったんだ・・・」

謎の建物その2

 屋根の一部が破損していますが、レンガを丁寧に積み上げ、曲線を多用した優美なデザインに感動しました。

 「今まで見てきた弾薬庫とは全然違うねえ」
 (この建物の正体は最後に)

丸窓の木枠

 内部には、円形の窓の木枠が残っていました。

転落するS

 ・・・が、無理やり登ったので、帰りはもっと大変。

 「落ちるー!」

 泥の斜面を滑り落ち、3回転するS。

落ちそうになる上野さん

 ガイドの上野さんも落ちそう。

 「あぶねー!」

泥だらけのA

 ずぶ濡れ+泥まみれのA。

 「泥だらけやんか!もう!」

惨状

 泥でコーティングされたトレッキングシューズを、海水で洗うという、かつてない惨状(-_-;)

みたびシーカヤックへ

 こうして、四十八谷砲台の調査は無事(?)終了したのでした。

 その翌日、学研の「日本の要塞」を何気なく見ていたSが声をあげました。

「あっ、昨日の建物、津軽要塞の海軍水雷司令部と同じデザイン!」

 なんと、四十八谷の謎の施設は、近年になって地元の方によって確認されたという函館の海軍水雷衛所と同じものだったのです。

 「対馬観光ガイドの会やんこも」副会長で、砲台の専門家の小松津代志さんに電話すると、

 「うん、あれは砲台(陸軍)じゃなくて、海軍の水雷衛所よ。桟橋跡?もう道はなかったろうもん。
 東側にちゃんと軍道があって、施設もいろいろ残っとるよ。

 インターネットでも四十八谷の水雷衛所の画像は見たことがないけん、初公開になるかもね」

 12月放送のNHKドラマ「坂の上の雲」(原作・司馬 遼太郎)では、主人公の秋山 真之(あきやま さねゆき)が、ロシアのバルチック艦隊の進路が対馬海峡か、津軽海峡か、で悩むシーンがあります。

 結局、対馬沖が決戦の舞台になるのですが、対馬の要塞群を見てくると、明治政府は10倍の国力をもつロシア相手に、万全の備えで決戦に臨んだんだなあ、と感じます。

 勝ち誇るS。かなり悔しいNでした。

【交通アクセス】

 瀬渡し船などの利用も可能ですが、単独では砲台や観測所までたどり着けない可能性が高いため、ガイドつきシーカヤックツアーへの参加をお勧めします。

 おもに、雑草が繁茂しない秋・冬のオプションツアーになりますので、くわしくは下記にお問い合わせください。

Googleマップ
>>対馬砲台群・砲台マップ(四十八谷砲台付近)