「歴史読本」(新人物往来社)の取材について
こんにちは、1月はアテンド(観光案内・取材協力)の仕事が続いている局長Nです。
さて、1/19~20(土・日)は、長崎県東京事務所・長崎県対馬振興局のご協力により、「歴史読本」(新人物往来社)のH編集長さん・Iさんをご案内しました。
お二人とも対馬発上陸ですが、日本の歴史のターニングポイントにたびたび登場し、重要な役割を果たしてきた島として、以前から強い関心があった、とのこと。
魏志倭人伝から日露戦争まで、取材というより歴史ファンのオフ会(ネット上の同好の士が、実際に会って情報交換すること)のような2日間になりました。
行程
1日目
福岡空港(07:50発) → 対馬空港(08:25着) → 大船越 → 万関橋 → 小船越 → 和多都美神社 → 烏帽子岳展望所 → 峰町歴史民俗資料舘 → 昼食: ももたろう(あなご料理) → 豊砲台 → 韓国展望所 → 天神多久頭魂神社 → (千俵蒔山) → 対馬野生生物保護センター → 対州馬 → 宿泊: 宿坊 対馬西山寺
2日目
対馬歴史民俗資料館 → 万松院 → お船江 → 対馬・厳原港(13:05発) → 壱岐・芦辺港(14:10着)
全部紹介するとキリがないので、時代順に一部を紹介します。
和多都美(わたつみ)神社
古事記・日本書紀などに登場する海の女神・豊玉姫(とよたまひめ)と山幸彦をまつる、対馬を代表する名神大社です。
ご神木が、本殿から這い出てきています。豊玉姫の正体は、ワニザメまたは竜神などとされており、まさしくそんな感じ。
裏参道に古代の磐座(いわくら)があり、また女性が舞う神楽「命婦の舞」が伝承されるなど、卑弥呼の時代の祭祀の雰囲気を感じることができます。
所在地: 長崎県対馬市豊玉町仁位(とよたままち・にい) >>和多都美神社(Googleマップ)
天神多久頭魂(てんじんたくずだま)神社
拝殿・本殿などの社殿がなく、山そのものがご神体で、石積みの塔で聖地を結界するという、古い祭祀の形態を残す珍しい神社です。
所在地: 長崎県対馬市上県町佐護湊(かみあがたまち・さごみなと) >>天神多久頭魂神社(Googleマップ)
峰町歴史民俗資料館
縄文時代後期の鹿笛(鹿狩りに使う狩猟具)から大量の石器類、大陸とのつながりを示す華麗な金属器まで、古代にこの地域に大きな勢力があったことを示す遺物が、豊富に展示されています。国道382号線沿いにあります。
所在地: 長崎県対馬市峰町三根(みねまち・みね) >>峰町歴史民俗資料館(Googleマップ)
西漕手(にしのこいで)
対馬の中央に広がる浅茅湾と対馬海峡がもっとも接する地峡部で、小さな船はここを陸送して大陸へ向かいました。
仏教などの大陸文化の中継地として大きな役割を果たし、近辺には日本最初の寺といわれる梅林寺(ばいりんじ)、式内社の阿麻テ留(アマテル。テは氏の下に一)神社などもあります。遣隋使・初期の遣唐使などもここを通りました。
所在地: 長崎県対馬市美津島町小船越(みつしままち・こふなこし) >>西漕手(Googleマップ)
万松院(ばんしょういん)
第19代対馬島主(対馬藩初代藩主)宗 義智(そう よしとし)の菩提寺で、1615年、第2代藩主・宗 義成(そう よしなり)が建立。
宗 義智は、小西行長の娘・マリアと結婚し、ダリオという洗礼名をもつキリシタン大名でもありましたが、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(朝鮮出兵)、「関が原の合戦」による小西行長の処刑、徳川家康の命による国交回復交渉、キリシタン弾圧など、戦国末期から江戸初期の激動の時代を生きぬいた初代対馬藩主です。
所在地: 長崎県対馬市厳原町西里(いづはらまち・にしざと) >>万松院(Googleマップ)
大船越(おおふなこし)
江戸時代(1672年)に第3代藩主宗 義真(そう よしざね)が、のべ3万5000人を動員し、半年で掘りきった人工の運河です。
これにより、南北82キロの大きな島の交通が、飛躍的に便利になりました。
また、幕末(1861年)のロシアの軍艦による対馬・芋崎占拠事件(ポサドニック号事件)の舞台のひとつで、対馬藩士・農民2名が犠牲になった場所です。
日露戦争の陸の英雄・野木希典揮毫による「義烈」の石碑があります。
所在地: 長崎県対馬市美津島町大船越 >>大船越(Googleマップ)
豊砲台(とよほうだい)
昭和4年着工、同9年に完成した昭和の巨砲。終戦後に解体されるまで、軍艦「赤城」(土佐・長門などの説もあり)の砲身18.5m、直径40.6cmのキャノン砲が移設され、朝鮮海峡(対馬海峡西水道)を威圧していました。射程は約30km。
照明ボタンがあり、砲台の内部構造を見学することができる珍しい観光スポットです。
所在地: 長崎県対馬市上対馬町豊(かみつしままち・とよ) >>豊砲台(Googleマップ)
今回、歴史読本のお二方は、神社と日露関係に強い関心をもたれたようです。
また、南部の厳原町豆酘(いづはらまちつつ)や、古代山城・金田城にも興味があり、1泊2日では時間が全然足りない、とのことでした。
対馬の歴史は、日本が誕生してから現代までの、日本の外交の歴史そのものです。
歴史に興味をお持ちの方は、
さて、翌日は上対馬で協会の理事会→そのまま新年会→翌朝から2月開催予定の「御岳トレッキング」の下見のため登山、という変なスケジュールで、妙なテンションになってきました。
ふほー(-_-;)
>>御岳(Googleマップ)