対馬の新緑と國分先生のこと
こんにちは、家の前の川(徒歩30秒)でゲンジボタルが舞い始めている局長Nです。
今年は桜がいっせいに咲いて散り、ヒトツバタゴも例年より早く開花し、5月初めにロケ取材で訪れた山でもかつてないほどチョウセンヤマツツジが咲き誇っていました。
5月の連休中にはキエビネをよく見かけ、久々にキンラン(野生ランの一種)も見ました。
対馬は面積の89%を森林が占める自然豊かな島なのですが、全島的に、若葉が美しい新緑の季節を迎えています。
そして、花々が開花を競い合っているかのような4月下旬(25日)、対馬の植物を誰よりも愛し、島内外の人々から愛された國分英俊先生が逝去されました。
おととしの10月にガンが見つかり、余命1年を宣告され、病気と闘いながらも普段通りの生活を心がけ、日々を楽しまれながら、1年半の時を過ごされました。
15年ほど前、「対馬の山野草を紹介するホームページを作りたいので植物の写真を提供していただけないでしょうか」という失礼な申し出をしたところ、「いいよ、これ全部自由に使って」と3000枚の鮮明な植物写真(3ギガバイト・・・)を渡され、度肝を抜かれました。
その後も、國分先生と夫人の愛子さんに、結婚前の嫁と一緒にあちこちの山に連れていっていただきました。
國分先生との出会い(厳原中学校の恩師だったので、正確には再会)がなければ、家庭を持つこともなかったかもしれません。
個人的に山に連れていっていただいても、協会の事業でガイドをお願いしても、いつも先生が一番活き活きして楽しそうでした。
ツリフネソウやオオチダケサシ、アオノイワレンゲの自生地など、今思えば夢のような場所にたくさん連れて行っていただきました。
開発や獣害で自生地が消滅した場所もあり、もう一度見たい気持ちと、再訪してがっかりしたくない気持ちが交錯します。
病気が見つかってからも、先生のご自宅と私の職場が近いこともあり、朝、「おーい、Nくーん!」と手を振りながら、趣味の陶芸の窯場へ向かう先生をよくお見かけしました。
3月のバターナイフづくりイベントや4人展の際にはあきらかに痩せており、苦痛・疲労も大きかったはずですが、尋常ではない精神力で平静を保たれているように思えました。
最後にお会いしたのは4月の初めで、先生が1年かけてまとめた「対馬の植物」について、自費出版なので島外からの問い合わせ・販売の際は協会が窓口になってほしい、というお話でした。
ご自宅を出る際、先生はベッドから上半身を起こし、「後のことは、頼んどくけ」といつものように笑って手を振られました。
4月25日、ご家族や対馬野鳥の会の皆さんに看取られながら、先生は眠るように息を引き取られたそうです。
私は1年間の事業の打ち合わせ中で、兄(野鳥の会事務局)からの電話に気付かず、悔いが残ります。
葬儀の日には、例年になく早く開花したヒトツバタゴが満開を迎えていました。
季節は繰り返し、また夏がやってきます。
一人の人間に与えられた時間には限りがあり、何ができ、何を残せるのかはわかりませんが、対馬の自然を心から愛し、遊びの達人でもあった先生の想いを継いでいけたら、と思っています。
とりあえず今は、「対馬楽講座~自然編~」をやりたいという思いがふつふつと湧いています。