
対馬のお城の魅力を専門家と楽しむスペシャルトーク×見学会レポート!
こんにちは、しばらくの間、お城と砲台まみれの日々が続きそうなエヌです。
今週水曜は対馬楽講座「対馬要塞を巡る」、週末は九州初開催の出張!お城EXPOin肥前名護屋城(佐賀県唐津市)に出展し、年末はお城EXPO2025(横浜)、12月~2月は萩原さちこさんによるお城講座(3回)、その間に2027年大河ドラマ「逆賊の幕臣」のネタ集めする予定です。
さて、そのお城の日々の第1弾として、2025年11月8日(土)9日(日)の2日間、城郭研究家・加藤理文 氏と対馬お城大使・萩原さちこ 氏をお招きして、
お城スペシャルトーク「お城から見る 対馬の攻防と交流」と清水山城・現地見学会
を開催しました。
「ながさきピース文化祭2025」の対馬地域事業として実施された本イベント、専門家お二人から見た対馬のお城、そしてその特異な歴史とはいったいどんなものだったのでしょうか?
お城スペシャルトーク「お城から見る 対馬の攻防と交流」

日時: 2025年11月8日(土)15:30~17:00(15:00開場)
場所: 対馬市交流センター3階大会議室
講師: 城郭研究家・加藤理文 氏×対馬お城大使・萩原さちこ 氏
参加者: 46名
以下、私のメモに基づくトークの振り返りです。
(私の記録ミスや解釈の間違いがあるかもしれないため、参考程度に・・・)
古代山城・金田城と対馬の城郭の独自性について

古代山城と金田城の重要性
- 【古代山城の定義と特徴】
- 古代山城と神籠石(こうごいし)は目的も形式もほぼ同じだが、日本書紀や続日本紀(しょくにほんぎ)など公式文献記載の有無で呼び分けられる。
- 白村江の戦い(663年)の敗戦後、唐・新羅の侵攻に備えた最前線の城として、当時の国家的な緊張感の中で築かれた。
- 特徴のひとつは山全体を1つの城壁で囲んでいること。(日本の一般的な城は複数の曲輪(くるわ)・防御線を持つ)
- 築城は中大兄皇子(天智天皇)が命じた国家プロジェクト。
- 【金田城(かねだじょう/かなたのき)の特異性】
- 古代山城の基本は土塁だが、対馬の金田城は石塁(せきるい)。
- 土木技術が非常に高く、石塁の張り出し部(馬面)があるのは金田城のみで、百済(くだら)の技術の影響が考えられる。
- 石塁の残存度は古代山城随一。特に傾斜のない石垣の積み方は当時の日本では極めて異例で、鎌倉時代の元寇防塁の3m、織田信長の小牧山城の3~4mを凌ぐ。岩盤と石塁の接合部の技術も例を見ない。
- 金田城は特別史跡であり、これは国宝に相当する。
- 【築城の目的と背景】
- 大野城・水城・基肄(椽)城跡は、博多湾からの侵入を防ぎ大宰府を守るために築かれた。いずれも特別史跡。
- 金田城は、天智天皇が命じた国家存亡の危機に対処するための、目的が異なる大規模な国家事業であった。
- 防人(さきもり)の任期は3年間で、非常に負担の大きな任務だった。
対馬に残る石垣技術の独自性
- 対馬の城下町(厳原)の石垣は、全国的にも稀に見る美しさと多様性を持つ。
- 豊臣政権下で石垣の規格化(効率的・高い積み方)が進み、関ヶ原以降は全国で技術が統一されていくが、対馬への影響は弱く、独自の技術が残ったことが極めて不思議である。
- 宗氏の技術を持った石工集団が、城だけでなく城下町の石垣等も手掛け、技術を絶やさなかった可能性がある。
清水山城(しみずやまじょう)の位置づけ
- 清水山城は、宗氏自身の城ではなく、豊臣秀吉が朝鮮出兵のために造らせた御座所(司令官の宿泊地)だが、建物を築く平坦地がなく、秀吉渡海の際にはふもとの金石城を利用する想定だったのではないか。
- 外国からの防衛が目的である金田城と異なり、秀吉の権威を象徴し、厳原港(いづはらこう)を監視する目的が強かった。
- 築城技術には、秀吉風の枡形虎口や鏡石・立石の使用など、織豊(しょくほう)様式のエッセンスが見られるが、形式だけ真似ている様相が見られる。
- 曲輪ごとに積み方が異なる点から、複数の大名が分担して築城し、技術が統一されていなかったことがわかる。
厳原城下町と宗氏の独自性
- 【金石城(かねいしじょう)と城下町】
- 江戸時代の一般的な城下町(街道を町家が挟み、城正面に天守を誇示する)とは異なり、対馬では大通りの両側に武家地が並び、天守を誇示する構造ではない。
- これは、朝鮮通信使の通行への配慮や、宗氏が長く統治者であり続けたため、権威を示す必要がなかったためと考えられる。
- 【宗氏の特殊な地位】
- 宗氏の実質石高は、本国は無高、肥前国基肄・養父郡などの飛地を加えても3万石程度だが、10万石以上格が与えられ、身分は従四位下・国持大名と高く、特別な配慮を受けていた。
- 関ヶ原の戦いで西軍についたにもかかわらず改易されなかったのは、対馬の特殊性と外交上の重要性から、宗氏以外に統治が困難だったためと考えられる。
- 倭城(朝鮮半島に築かれた城)の築城ブームの中で、宗氏は天守を作らないなど、中央の権力になびかない独自性を保った。
次世代に対馬の価値を伝えよう
- 金田城をはじめとする対馬の城郭は、非常に独自性が高く、全国的に見ても極めて貴重。
- この史跡を壊さずに残し、次世代の子どもたちにその価値を伝え、全国の人に見てもらうための調査・研究・整備・情報発信を、地元住民も含めた、地域全体で取り組んでほしい。
清水山城・現地見学会

日時: 2025年11月9日(土)9:30~11:30(9:00受付開始)
場所: 観光情報館ふれあい処つしま~清水山城
講師: 城郭研究家・加藤理文 氏×対馬お城大使・萩原さちこ 氏
参加者: 25名

講座の翌日は、清水山城の現地見学会。
夜中に大雨が降りましたが、なんとか実施できました。
参加者の皆様は、観光情報館ふれあい処つしまから清水山城を遠望し、博物館横から清水山城の登り口、そして三ノ丸からニノ丸・一ノ丸(本丸、山頂)へと続く道のりで、石積みひとつひとつを専門家の解説とともに確認しながら歩きました。

次の予定がある5名は先に下山し、時間に余裕がある20名は山頂で記念撮影を行い、対馬の貴重な歴史にふれる体験を共有しました。

清水山城見学会の後、加藤先生は、対馬の石垣づくりの背景となる、桟原城近くにある渡辺菓子舗さんの石丁場(石切場)を見学し、さらに対馬風の石積み技術が駆使された対馬藩の造船ドッグ・お船江(ふなえ)を訪問しました。

萩原さんは小茂田浜神社大祭を見学し、対馬空港へ。
こうして、濃密な内容のお城トークと現地見学会の2日間は、盛況のうちに幕を閉じたのでした。
講師の加藤理文先生、萩原さちこさん、参加者の皆様、スタッフの皆さん、ありがとうございました!







