対馬の神社(與良祖神社)

対馬の神社・磐座(いわくら)について

2021/07/13対馬神社群

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 昨今のパワースポットブームの影響か、今年は神社関連の問い合わせが増加しています。

 対馬の神社について紹介いたします。

 神社紹介の際、よく引用される資料として、「延喜式神名帳」(えんぎしきじんみょうちょう)があります。延喜式神名帳は、10世紀初頭に朝廷から官社として認められていた神社を一覧にまとめたもので、ここに記載された神社を一般に「式内社」と呼び、古くから格が高い神社として一種の社格になっています。

 全国の式内社の総数は、神社2861社(神々3132座)で、西海道(九州)では98社107座の式内社がありますが、実は、対馬には九州最大の29社29座、お隣の島壱岐には24社24座の式内社があり、2島で西海道の半分をしめています。

 この式内社の多さは異常で、この2島がいわば「神々の島」として認識されていたことがうかがえます。

 ちなみに、筑前(福岡)は11社19座ですが、より霊験あらたかとされる名神大社が多く、「福岡~壱岐~対馬」という朝鮮半島・大陸航路を朝廷が重要視していた事実が反映されているようです。

 一方、天孫降臨の地とされる宮崎・鹿児島には式内社は計11座(大社は1つ)しかないなど、奇妙な現象が見られます。(朝廷の抵抗勢力が多かったため?)

式内社

対馬 29社29座 (大社6社6座、小社23社23座)
壱岐 24社24座 (大社7社7座、小社17社7座)
筑前 11社19座 (大社8社16座、小社3社3座)

対馬の代表的な神社としては、

 対馬一の宮 海神神社(かいじんじんじゃ)、和多都美神社(わたつみじんじゃ)などがあります。

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両社とも大海神・豊玉彦(とよたまひこ)の娘・豊玉姫(とよたまひめ)を祭り、豊玉姫が航海と安産の神であることから、かつての島主・藩主から庶民にいたるまで厚い崇敬の念を抱かれてきました。

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拝殿・本殿も立派で、周辺の雰囲気も非常によいのですが、ちょっと奥を探索すると、意外なものが姿を現してきます。

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 和多都美神社の本殿裏の参道を少し進むと、「豊玉姫の墳墓」と伝えられる岩塊が・・・。

 古代の祭祀跡「磐座」(いわくら)です。

 かつては、こうした磐座の周囲で祭祀を行い、卑弥呼のようなシャーマンに神々が憑依?し、神託を下したと考えられています。

 時代が下ると、こうした交通の不便な地、野外での祭祀は廃れ、集落の近くに神社を建設してそこで神事を行うようになっていきます。

 現在、大都市では、開発により取り壊された神社がビルの屋上に鎮座している例もありますが、対馬では今でも古代の祭祀の姿が色濃く残されています。

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たとえば、厳原の某神社の本殿横の細い山道を少し登ると・・・。

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 磐座登場!

 圧倒的な雰囲気。一人で来るんじゃなかった、とちょっと後悔(-_-;)

 対馬では、神社(建物)以外のこうした「本体」によく出くわします。

 本体(磐座、原始林など)周辺を神域として俗人の侵入を禁止し、その代わりに、誰もが遠くから拝む場所として遥拝所=神社を建築していったのかも知れません。

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 白嶽(しらたけ)です。

 九州百名山のひとつとして登山客に人気の山ですが、対馬の修験道の中心地のひとつでもあり、いまでも神聖な山として島民に愛されています。

 見方によれば、この白嶽自体が巨大な磐座なのかもしれません。

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 写真は、美津島町今里の「志賀神社」(しかじんじゃ)です。鹿ノ島という小島に神社があり、船でしか行けません。祭神は海神・磯良(いそら)。

 対馬は89%が山地であり、四方を荒れる外洋に囲まれています。

 耕地が少ない対馬の人々は、古代から海を渡る海洋民族であり、危険と隣あわせの日々を生きていました。

 対馬のいたるところに鎮座する神々は、そうした人々の「祈り」から生まれたのかも知れません。