専門講座「対馬は砲台の博物館」(2025/3/4)の開催について

対馬楽講座,対馬砲台群

 こんにちは、対馬は雄大な自然と悠久の歴史が息づく島ですが、その多様な魅力は海に眠るダイヤモンド(ドラマの影響、受けすぎ)のような、地下の鉱石のようなものだと感じているエヌです。

 少し掘れば個性的で豊かな鉱脈が姿を現しますが、最初はガイド・専門家・本など、ちょっとしたきっかけ、掘るコツ(楽しみ方)が必要なんですよね。

 たとえば対馬の砲台については、

  1. 幕末にイギリス・ロシアなどの列強が東アジア(中国・朝鮮半島・日本)に接近してくる
  2. 対馬の浅茅湾の一部・芋崎がロシアに半年間占拠され、幕府・対馬藩は対応に苦慮する(ポサドニック号事件
  3. 明治政府は(幕末に懲りて)、浅茅湾を防衛するための対馬要塞の構築に取りかかる
  4. 日清戦争・日露戦争にかろうじて勝利する
  5. 昭和になり、対馬海峡を制するための巨大な砲台が設置されるが、終戦を迎え、砲台の一部は溶かされて戦後復興の資材になる

という、日本という国の興廃・再生の物語が秘められています。
(それすら、白村江・元寇・文禄慶長の役などの対馬がらみの国家攻防史の一部ですが)

 で!

 今回、砲台の専門家をお招きし、対馬の砲台の奥深い魅力を学ぶ講座(主催:対馬市教育委員会文化財課)が開催されますので、お知らせです!

由良 富士雄(ゆら ふじお)先生について

 講師の由良 富士雄先生は、防衛大学校で軍事史等を担当されており、専門分野は日本陸海軍航空運用史です。

 対馬が舞台になったあの漫画(アニメ化も)作品をきっかけに対馬に興味を抱き、何度か来島するうちに、古代山城から近代の砲台までが極めてよい状態で遺存し、特異な歴史が刻まれてきた対馬のとりこになりました。

 論文や機関誌などで対馬の砲台を取り上げていただいていますが、今回は対馬市民向けに、わかりやすく、対馬の砲台の変遷についてお話いただきます。

 (実は2年前にも、対馬で講座を開催していただきました)

講座「対馬は砲台の博物館」について

【講座タイトル】
対馬は砲台の博物館
~より重要性を増した要塞整理期の対馬の砲台の変遷~

 対馬市内には30箇所以上の近代遺構(砲台跡等)がありますが、まだまだ未解明な部分も多く、理解の促進と遺構の保存、価値の顕現化と活用を目的に、専門講師による市民向け講座を開催します。

【講師】 防衛大学校防衛学教育学群統率・戦史教育室
准教授 由良 富士雄 2等空佐

【日時】 令和7年3月4日(火)19:00~20:30

【会場】 対馬市交流センター3階大会議室(長崎県対馬市厳原町今屋敷661)
 >> Googleマップ

【お申込み】
対馬市教育委員会文化財課
TEL 0920-54-2341 / FAX 0920-54-4046
E-mail k_bunkazai(a)city-tsushima.jp
※迷惑メール対策のため、(a)を半角@に置換してください。

↓お申込みフォーム
https://forms.gle/LS5czVrW5zktfxZz7

【参加料】 無料

【主催】 対馬市教育委員会文化財課
【協力】 一般社団法人 対馬観光物産協会

おまけ 写真あれこれ

ポサドニック号事件=ロシア軍艦対馬占領事件(対馬市美津島町昼ヶ浦)
芋崎砲台。明治20年代に建造され、30年代に改造されている(美津島町昼ヶ浦)
上見坂堡塁(かみざかほうるい)。白兵戦を想定した防御型砲台
深浦水雷艇隊基地跡の石積み。戦時体制最後の首相・鈴木貫太郎もここにいた(美津島町竹敷)
姫神山砲台。第2期(明治30年代)の対馬を代表する砲台跡(美津島町緒方)
万関橋(まんぜきばし)。浅茅湾の竹敷(海軍要港部)と対馬海峡東水道をつなぐ人工運河にかかる橋(3代目)。
昭和9年完成の豊(とよ)砲台。内部構造を見学できる。
豊砲台。戦艦赤城の主砲(口径41センチ2連装1基)が据えつけられていた。