対馬要塞地帯標

「陸防」マニアと郷山砲台ウォーク

2021/10/07対馬砲台群

 みなさま、こんにちは。観光担当Nです。

 最近、ごく狭いエリア(3人ぐらい)で、「陸防」が熱いです。
(興味のない方は無視してくださいね(^^;))

 対馬は古代から国境の島ですが、幕末から明治時代は特にロシアなど列強の圧力を受け、明治~昭和期にかけて全島が要塞化され、国防の最前線となりました。

 その時代の遺構として、31ヶ所もの砲台跡や、万関瀬戸(久須保水道)、水雷艇基地跡などが残されているのですが、その息吹をもっとも身近に感じられるのが、対馬のいたるところにある「陸軍境界標石」、通称「陸防」です。

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 これが「陸防」。

 軍用地の境界を示す石標で、軍事施設跡・要塞地帯などで見ることができるのですが、開発や道路拡張で全国的に姿を消しています。

 片面は「陸」。

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 裏は「防○○○(漢数字)」

 最近、山歩きに行くたびに注意して見ているのですが、対馬にはおびただしい数の「陸防」が残されているようです。

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 明治の「陸防」は石造りで、手彫り感が味わい深いです。

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 かなり埋まってたり。

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 横倒しになってたり。

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 彫った人がB型だったのか、「防」の字を彫り忘れてたり(殴)

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 完全に埋没してたのにマニアの手で掘り起こされてしまったり。

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 県道のガードレール下でコンクリートの一部になってたり。

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 昭和の「陸防」はセメント製。見つけた時の喜びは明治期のものと比べると今ひとつ・・・。

 これが見つけ始めると止まらない「陸防」の魅力です。

 観光に役立つのか? 日常生活で役に立つのか? と聞かれれば、何とも言えないのですが・・・(-_-;)

 ちなみに5月21日(土)に開催する「対馬砲台群 ~郷山砲台ウォーク~」(美津島町尾崎地区)は定員を軽く超える応募がありました。

 尾崎地区は、山縣有朋(山県有朋)をして「対馬ハ我西門ニシテ、最要衝ノ地」と言わしめた対馬のなかでも特に重要視され、明治期に3つ、昭和期に1つの砲台が築かれています。

「郷山砲台ウォーク」では、事故・怪我がないことを第一に考え、参加者の皆様に「陸防」の魅力を伝えられたら幸いです(目的が違うって・・・)