
「対馬は砲台の博物館」講座と昭和の砲台群について
こんにちは、先日3月9日に「坂の上の雲」(NHK)の再放送・最終回を視聴したエヌです。
この作品では、旅順の二百三高地攻略戦(「ゴールデンカムイ」冒頭の北海道・第七師団の激戦地)や、日本海海戦の東郷ターンなど、日露戦争のクライマックスが圧巻の映像で描かれています。
ただ、15年ぶりに観てみると、日露戦争で長男・次男を失った乃木 希典(のぎ まれすけ)や、勝利を収めながらも悪夢にうなされる秋山 真之(あきやま さねゆき)の姿に、より深く感情移入しました。
前だけを見て生きた明治人の群像を描きながらも、戦争の過酷さ・無慈悲さを伝える作品だったんだなあ、とあらためて実感しました。
専門講座「対馬は砲台の博物館 その2」

さて、先週3月4日(火)には、対馬市教育委員会主催の講座「対馬は砲台の博物館その2」が開催されました。

講師は防衛大学校の由良富士雄先生で、2年前の講座に続き、今回は大正・昭和の要塞整理期について詳しく解説していただきました。
日本の砲台の時代別分類
日本の砲台は、時代別に以下のように(ざっくり)分類されます。
- 第0期(明治10年代) 横須賀・観音崎砲台
- 第1期(明治20年代) 対馬・芋崎砲台ほか
- 第2期(明治30年代) 対馬・姫神山砲台ほか
- 第3期(大正・昭和初期) 対馬・豊砲台ほか
第0~2期は大砲・火薬・装甲・観測機などの技術が急速に発達し、試行錯誤を重ねながら徐々に規格化へ向かう時代でした。一方、第3期は関東大震災や航空機・潜水艦などの登場により、要塞の整理(予算との闘い)が課題となりました。
代表的な大砲の種類
榴弾砲(りゅうだんほう)
- 斜め上方に打ち上げ、軍艦の甲板などを撃ち抜く曲射タイプ
- 破壊力は大きいが、命中精度は低め
- 特に28糎(センチ)榴弾砲は、日露戦争でも活躍し、明治期の対馬の砲台に多く設置された

>> フリー素材サイト イラストAC より 金時さん のイラスト
加農砲(かのんほう)
- 水平に発射し、軍艦の側面を撃つ直射タイプ
- 命中精度は高いが、軍艦の側面は装甲が厚く、破壊力・貫通力は低め
- 海岸部など比較的低地に設置された
砲塔砲台(ほうとうほうだい)
- 1922年のワシントン海軍軍縮条約で建造中止となった軍艦の主砲を陸上の砲台に転用
- 豊砲台は、空母に改装された巡洋戦艦・赤城の2番砲塔・四十五口径四十糎加農砲2門(砲塔1基)を移設
(こんな巨砲が船に何門も設置してある方がすごいのですが。ちなみに大和の主砲は口径四十六糎)
砲台の設計は、科学技術の目覚ましい進歩(レンガからコンクリートへ、新型火薬の開発、装甲鉄板の改良、観測機の発展、飛行機・潜水艦の登場など)とともに大きく変化していきました。

また、その設置目的も、明治期は射程距離7.8kmの28糎榴弾砲による浅茅湾(あそうわん)防備、昭和初期は射程距離30㎞の砲塔砲台による対馬海峡の封鎖など、時代とともに移り変わっていきます。
射程が伸びるにつれ、30㎞先の海上を観測する装置が必要となり、さまざまな観測機器や観測所が開発されました。砲台の設置場所によっては砲の改造が求められ、加えて砲台は超高価(!)なため、常に予算の問題がつきまといます。

通常、砲台は、国防上重要な地域に築かれ、特定の時代(明治のみ、昭和のみ)に属することが多いのですが、対馬には、明治20年代の日清・日露戦争から昭和の太平洋戦争末期までの砲台跡が点在しています。

明治30年代の城山(じょうやま)砲台は、7世紀の古代山城「金田城」を再整備したものであり、令和の現在も陸・海・空の自衛隊が守りを固めていることを考えると、対馬はまさに「砲台の博物館」であり、古代から現代に至るまで国防の最前線であり続けているのです。
昭和の4つの砲台と観測所
実は今回、由良先生と一緒に、「観測所」の比較調査を目的に、昭和の4つの砲台を訪問しました。
豆酘崎(つつざき)砲台
- 湿気・夜間に弱い八八式海岸射撃具=観測所が使用されていた。
- 鉄板屋根が綺麗に残る観測所としておそらく日本唯一。
- 試製十五糎連装加農(四五式十五糎連装加農)が2基設置。狭い土地用に改造したもので、宗像の沖ノ島(立入禁止)とここのみ。


郷崎(ごうざき)砲台
- 明治期の砲台が3つもある「砲台の聖地・尾崎半島」の突端に位置する昭和の砲台。
- 陸上自衛隊の用地で通常は立入禁止。今回は陸上自衛隊対馬駐屯地様に特別に許可をいただいた。
(ありがとうございます!) - 四五式十五糎加農砲×4門+八九式海岸射撃具が設置された大規模な砲台跡。
- 郷崎灯台・海岸線などの景観もよい。




棹崎(さおざき)砲台
- 現在は棹崎公園として整備(駐車場・トイレ完備、敷地内には対馬野生生物保護センターがある)。
- 砲座はオブジェ等に改造されているが、通路や弾薬庫などは原形を保っている。
- 特に九八式海岸射撃具・観測所の状態が良好。
- 四五式十五糎加農砲×4門(うち1門は灯台建設で消滅)。
- 所在地:長崎県対馬市上県町佐護西里 >> Googleマップ




西泊(にしどまり)砲台
- 四五式十五糎加農砲×2門+九八式海岸射撃具・観測所がある。
- 上対馬特有の脆い泥岩地帯のため、軍道が崩落して危険な状態。
- 観測所や弾薬庫の保存状態は良好。





今回は「坂の上の雲」の放送や日露戦争120周年にちなんで、対馬の「国防」という視点から歴史を見つめました。
対馬の歴史は、日本の外交史そのものです。
古代の山城から近代の砲台まで、多彩な防衛の歴史が刻まれた「砲台の博物館」対馬を、ゆっくりとめぐってみませんか?