阿連(あれ)の洞門について
こんにちは、夏が近づき、テレビやラジオの取材関係の仕事が増えている局長Nです。
2012年6月27日(水)、テレビ番組の取材同行で、対馬市厳原町阿連(つしまし・いづはらまち・あれ)の「阿連の洞門」(あれのどうもん)を訪れました。
>>Googleマップ(厳原町阿連)
厳原(いづはら)の事務所から、西海岸の阿連地区までは車で50分ほど。
待ち合わせの場所に向かう途中、ネムノキの花が咲いていました。
珍しい花(木)ではありませんが、夏が近いなあ、と感じます。
阿連集落手前の道路からは、180度の水平線が弧を描き、地球が丸いことがわかります。
携帯電話(ドコモ)が圏外になり、「あれが起こるのでは・・・」と思っていたら、起きました。
国際電話(プサン経由)に切り替わったのです(-_-;)
この状態で事務所から携帯にメールが来ると、一通70円(殴)
さて、取材陣と合流し、阿連の海岸を1キロ近く歩くと、阿連の洞門が見えてきました。
ここまでは海岸沿いを普通に歩いていけるのですが、洞門のところで、巨大な岩塊が海に突き出し、道を塞いでいます。
阿連は、北・南・東の三方を山に囲まれ、西は対馬海峡西水道。
山道は悪路で、冬は強烈な北西の風が吹くため、いわば陸の孤島状態でした。
洞門は、阿連から小茂田(こもだ)地区に行くために、昭和初期に人力で掘られたトンネルなのです。
長年の風雪・波浪にも耐えてきた洞門ですが、地質的にははかなり脆いようで・・・。
天井に亀裂が(-_-;)
近くに直径1mほどの落石もあり、危険な感じ。
取材中に、イルカの群れを発見!
地元の方の話では、何年も前からよく見かけるとのことで、群れで住み着いている?のでは、とのことでした。
イルカの背骨?
無事、撮影終了。
さて、阿連は対馬のなかでも特に古い集落のひとつで、いろいろな秘密があるのですが・・・。
集落から一山超えると白砂の浜。
ブログのビーチコーミング(漂着物採集)関係はほとんどここ(^^;)
「伝教大師入唐帰國着船之地」の碑。
唐での修行を終えた天台宗の開祖・最澄が、日本に帰る途中に漂流して阿連にたどり着いたのです。
805年のことでした。
さらに、「オヒデリ様」という独特の神事が伝承されており・・・
「オヒデリさまの伝承の概要は以下の通り。
日本の神様は、旧暦の10月に出雲に集まり、1年の出来事について協議(一説には縁結びの相談)をすると言われています。そのため、出雲以外の地域には神様が不在になり、旧暦10月は「神無月」(かんなづき)と呼ばれます。
阿連の土地神・雷命(いかづちのみこと、らいめい)も出雲に旅立ち、不在になった阿連の集落に、山の神「オヒデリ」が降りてきて里を守ってくれます。
1ヵ月後、雷命が里に戻ると、オヒデリは1週間ほど滞在した後、山に戻りますが、このときオヒデリは懐妊しているといわれます。
雷命は、竜神=水神=男神であり、里に雨(時には洪水)をもたらす存在。
オヒデリは、お日照=太陽神=女神であり、里に日光(時には旱魃)をもたらす存在。
この2つの神がバランスよく里を守り、神婚を通して太陽と雨が結びつき、里に豊穣をもたらす、という古い神話世界が、今も阿連には生きています。
オヒデリを山からお迎えし、また山にお送りする神事が、今も阿連の皆さんによって大切に受け継がれています。」
さらにもうひとつ、阿連にはおそらく日本最古の○○があるはず・・・ということで、たまたまポケットに阿連の25000分の1地図とGPSがあったので(殴)、現地を確認したかったのですが時間切れ。
残念(-_-;)
また今度!