お城、お城、ときどき砲台の日々について

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 こんにちは、対馬のお城の動画撮影の案内と、ガイド養成事業(特別座談会「城と対馬」、金田城現地研修)を連続して行った結果、お城(ときどき砲台)漬けの1週間を送ったエヌです。

 スペシャル・ゲストは、

 と

 ちなみに今回訪問した史跡・お城・砲台・遺跡(?)は

2024(令和6)年
 9月2日(月) 清水山城(しみずやまじょう。1591年 文禄慶長の役)、対馬博物館
 9月3日(火) 金田城(667年 白村江の戦い、全周6.5時間コース)、渡辺菓子舗さん裏の石丁場(石切場)
 9月4日(水) 古代の港・西漕手、岩盾神社、結石山城・撃方山城(文禄慶長の役)、韓国展望所(→徒歩800mで豊砲台)
 9月5日(木) 特別座談会「城と対馬」、与良祖神社の磐座(いわくら)、宝満山山頂の石積み
 9月6日(金) 金田城(現地研修、全周6.5時間コース)

 です!

9月2日(月) 清水山城

 まずは、1591年、文禄慶長の役(豊臣秀吉による朝鮮出兵)に際して築かれた清水山城を訪問。

清水山城・二ノ丸

 三ノ丸・二ノ丸は、織豊系城郭と呼ばれる戦国時代末期のお城・石垣の特徴がよく出ている、とのことですが、

清水山城・一ノ丸

 一ノ丸は、白い扁平な石を積む独自の形式で、楕円形。
 築造の目的や時代が、清水山城の他の石積みとは異なるのかも??とのこと。

清水山城・一ノ丸(清水山山頂)

 清水山城一ノ丸(清水山山頂)からは、厳原(いづはら)城下町エリア、壱岐方面の水平線が見渡せます。
 古くから、船の往来を監視するには最適の場所だったのでしょうね。

清水山城プロフィール

【名称】 清水山城(しみずやまじょう)
【築城年】 1591年
【きっかけ】 1592-1598年 文禄慶長の役(日本 対 李氏朝鮮・明)
【所在地】 清水山(長崎県対馬市厳原町西里) >>Googleマップ
【築城者】 豊臣秀吉の命令で、宗 義智を主力とし、相良 長海・高橋 直次・筑紫 広門らが加勢。毛利高政説あり。
【文化財】 国指定史跡
【見どころ】 石垣、城下町の景観、対馬海峡・壱岐方面の水平線、植物(ゲンカイツツジなど)

9月3日(火) 金田城一周ルート

 翌日は、白村江の戦い(663年)の後、国防の最前線となった対馬に667年に築かれた古代山城・金田城へ。

金田城・三ノ城戸

 通常は明治期に整備された城山砲台の軍道を往復するのですが、今回は古代の石塁をたっぷり見学できる石塁+山頂急登(危険)+城山砲台跡・山頂+軍道を下る、というフルコースです。

金田城・一ノ城戸

 黒瀬湾を望む絶景→明治の軍道と古代の石塁が交差する東南角石塁(から石塁コースへ)→石塁沿いに築かれた3つの城戸(きど。城門。一ノ城戸には実際には城戸は無かったようです)をめぐる→一ノ城戸から、城山の鎮守・大吉戸(おおきど)神社へ。

 大吉戸神社から城山砲台跡へは、かなりの急登・急傾斜ですが、実は残存度の高い、迫力のある石塁を見ることができます(要健脚)。

 石塁、対岸の鋸割岩(のこわきいわ)を眺め、そろそろ砲台跡かな?と思ったら、心臓破りの急な木造階段が・・・。

 日露戦争に備えて築かれた城山砲台には、観測所、28センチ榴弾砲4門の砲座、井戸、弾薬庫などが設置され、いまもその姿をとどめています。

 砲台跡から急傾斜を5分ほど登ると、浅茅湾(あそうわん)や朝鮮半島方面の水平線を一望できる山頂です。

 7世紀の古代山城+防人と、明治期の砲台+旧陸軍砲兵部隊。
 1200年の時が経過しても、国境守備という、まったく同じ役割を求められていたんですね。

金田城プロフィール

【名称】 金田城(かねだじょう・かなたのき・かねたのき)
【築城年】 667年(日本書紀)
【きっかけ】 663年 白村江の戦い(倭国 対 唐・新羅連合軍)
【所在地】 城山(じょうやま。長崎県対馬市美津島町黒瀬(登山口は箕形))
【築城者】 天智天皇の命令で、亡命百済人の技術を用いて築城されたと推測される。工事実施者は不明(防人、島民、亡命百済人、九州からの動員など?)
【文化財】 国指定特別史跡
【そのほか】 続日本100名城(日本城郭協会)、最強の城(NHK)、聖地巡礼(アンゴルモア元寇合戦記、ゴーストオブツシマなど)
【見どころ】 石塁、黒瀬湾・浅茅湾の眺望、植物(カギカズラ、ヤマボウシ、ダンギクなど)

9月4日(水) 結石山城(ゆいしやまじょう)・撃方山城(うつかたやまじょう)

 3日目は、ブラタモリにも登場した古代の港・西漕手(にしのこいで)に立ち寄り、一路北部へ。

 対馬北部には、文禄慶長の役に際し、秀吉の軍団が集結した大浦湾(おおうらわん)の船の出入りを監視するかのように、複数の山城が築かれています。

 そのひとつ、結石山城は、知名度は低いものの、道路・駐車場・トイレが整備されており、山頂近くまで車で行けます。

 この日は気象条件がよかったため、釜山の街並み(白いビル群)を肉眼で確認できました。

 滋賀県在住の中井先生は、琵琶湖の対岸のような場所に朝鮮半島があることを実感し、びっくりされていました。

 大浦湾に面する岩楯(いわだて)神社は、秀吉の軍団が戦勝を祈願したという伝承があります。

 撃方山城は、174mの山頂に直径10mほどの円形の曲輪(くるわ。削平された平坦地)を築き、北・南西・南東の尾根に3か所の曲輪があり、南東のみ一部石垣が見られます。

長崎県中近世城館跡分布調查報告書 Ⅱ(奈良文化財研究所)

↑PDFファイル(30.4MB)ダウンロード。P9~10に撃方山城の調査結果・縄張図があります。

 北部の山城は、豊臣秀吉の命で軍監・毛利高政が築いたとされますが、出撃拠点である大浦湾から目的地である釜山まで監視するための実用的な城(石垣などの見せる要素がほぼない)だったようです。

結石山城/撃方山城プロフィール

【名称】 結石山城(ゆいしやまじょう)、撃方山城(うつかたやまじょう)
【築城年】 1591年ころ
【きっかけ】 1592-1598年 文禄慶長の役(日本 対 李氏朝鮮・明)
【所在地】 大浦湾周辺(上対馬町河内・結石山190m、上対馬町大浦・撃方山174m)
【築城者】 豊臣秀吉の命令で、軍監・毛利高政が築城したとされる
【見どころ】 朝鮮半島方面の眺望、大浦湾
【そのほか】 結石山には古代に烽火(とぶひ・のろし)・防人(さきもり)が配置されていた、という伝承がある

豊砲台(とよほうだい)

 豊砲台への道路は工事中で立入禁止(2024年9月現在)なので、韓国展望所(駐車場・トイレあり)から約800mほど歩いて、豊砲台へ。

 地下構造は良好に遺存し、内部を見学できます。入口に30分間の照明ボタン(無料)があるので、押し忘れずに。

 主砲が収まっていた砲塔井を見上げます。

豊砲台プロフィール

【名称】 豊砲台(とよほうだい)
【築城年】 起工1929(昭和4)年、完成1934(昭和9)年
【きっかけ】 第一次大戦後のワシントン軍縮条約により、航空母艦に改造されることになった軍艦・赤城(諸説あり)の主砲40.6cm2連装カノン砲1門を上対馬町鰐浦に移設
【所在地】 長崎県対馬市上対馬町鰐浦 Googleマップ(2024年9月現在、通行止めです)
【築城者】 旧日本陸軍
【見どころ】 砲身長18.5m、重量108トン、射程30.3kmの砲身は戦後解体されたが、地下の内部構造(砲塔部、動力機室、砲具・電気室、濾過水槽など)は良好に遺存し、見学できる。入口に30分照明のボタンがある(無料)

9月5日(木) 特別座談会「城と対馬」

 4日目は、「城と対馬」と題して、中井先生と萩原さちこさんによる特別座談会を、対馬市交流センターで開催しました。

・対馬の城・砲台の最大の特徴は、築城者が国家であり、仮想敵もまた外国の国家であること。
(金田城=中大兄皇子(天智天皇)、清水山城~撃方山城=豊臣秀吉、対馬要塞・砲台群=明治・昭和の旧日本陸軍)

・金田城は「国宝」に相当する「国指定特別史跡」だが、一般的には特別史跡の知名度は低く、もっと誇ってもよい。

※ 特別史跡は2020年3月時点で全国63件。
※ 金田城は長崎県最初の特別史跡で、2番目は壱岐の原の辻、3番目に佐世保の福井洞穴が登録予定。
※ 砲台・城跡では、古代:多賀城(以下、跡を省く)・水城・大野城・基肄(椽)城・金田城、戦国・江戸期:江戸城・名古屋城・安土城・彦根城・大阪城・姫路城・名護屋城・熊本城。幕末:五稜郭。

 そのほか、対馬の城絵図の謎、古代の東北の城柵などとの比較、清水山城の石積みの特徴、対馬の南部と北部の城の違い、文禄慶長の役と城作りの進化など、あっという間の90分でした。

 今回の座談会はガイド養成事業の一環だったのですが、中井先生からは「まずはガイド自身が楽しむこと、それがお客さんに伝わるはず。地元を好きになり、自慢してほしい」との励ましの言葉をいただきました。

 さらに、「山城ばかり歩いているので、登山が好きだと思われているが実は嫌い。大好きなお城があるから行くけど、自然目的の登山などは行かない」というカミングアウトも。

 炎天下、4日間も山ばかり歩いてしまい、申し訳ありませんでした(笑)

与良祖(よらのみおや)神社、宝満山の石積み

 座談会後、中井先生を対馬空港にお送りして、萩原さんのリクエストを聞くと、以前、「(謎の石積みがあるとお伝えしていた)宝満山へ行ってみたい」とのこと。

 山腹にド迫力の磐座(いわくら)があり、山頂には馬蹄形(半円形)の石積みが残されています。

 清水山も宝満山もいわゆる神山で、どちらも神功皇后の伝承が色濃く残されているので、祭祀遺構なのかもしれません。

 ※清水山は神功皇后自らが祭った神山で、宝満山は皇后が豊玉姫から神託を受けた場所。

9月6日(金) 金田城一周ふたたび

 最終日は、萩原さんとガイド・ガイド候補生のみなさん一緒に、金田城へ。
 もちろん、ハードな一周コースです(笑)

 ガイドなしでは、道迷いが発生したり(軍道を往復すれば迷うことはあまりないのですが)、石塁を見るポイントが限られ、事前に調べたこと以上の知識や情報はなかなか得られません。

 ガイドを養成して、道迷いやケガのリスクを減らし、観光客の皆様に対馬と金田城全体(石塁・神社・砲台跡・山頂、時代背景など)を楽しんでいただき、満足度を高めていきたいと考えています。

 残暑厳しい9月初旬に2周しましたが、さすがに国宝級(笑)、金田城はやはりよい山城でした。

 ご多忙にもかかわらず時間を割いていただいた中井均先生、萩原さちこさん、受講生の皆様にお礼を申し上げます。
 ありがとうございました!

 いろいろ準備してもらった協会スタッフのムラピーもお疲れ様でした!

 金田城ガイドのご用命はこちらから
 → 一般社団法人 対馬観光物産協会 > 体験・ガイド > 金田城ガイド

 9~10月にもガイド養成を実施し、2回のお城EXPO(10月20日(日)滋賀県米原市、12月21日(土)~22日(日)神奈川県横浜市)に出展し、金田城モニターツアーも計画しています。

 まだまだ、お城と砲台の日々は続きそうです。