対馬の狛犬の類型・デザインについて、その2
こんにちは、最近、対馬の狛犬について調べているエヌです。(しつこい)
対馬の狛犬の分類(製作年別)
(1)江戸時代後期~明治時代の狛犬
多くが花崗岩製(白く硬質で、表面が風化している)で、関西風のデザインのものが多い。石工の記録がはっきりせず、関西からの輸入品が多い?
(2)大正時代~昭和初期の狛犬
より精密な加工が可能な砂岩製が増え、石工の名前が彫られているケースも。
(3)戦後~平成時代の狛犬
愛知県岡崎市で大量生産された、画一的な白御影石製の狛犬が全国に普及する。
狛犬には石工のクセ・技術・好みがあり、見慣れてくると、名前がなくても製作者が予想できるようになります。
今回は、製作者がわかりやすい(2)の狛犬を紹介します。
田崎 亀次
豊玉町大石に住み、狛犬や鳥居、石の倉などを製作した石工・彫刻師です。
大正10年時点では、次に紹介する増田 壽太郎とほぼ同じデザイン(そっくりな狛犬を同時期に納品するなど、工房が一緒?)なのですが、作風が徐々に変化していきます。
乙宮神社(長崎県対馬市美津島町緒方)
1920(大正9)年
※以下、長崎県対馬市を省略
和多都美神社/高倉神社(美津島町根緒)
1921(大正10)年11月吉日
國本神社(上県町瀬田)
1927(昭和2)年2月吉日
住吉神社(美津島町鶏知)
1927(昭和2)年3月吉日
多久頭魂神社(厳原町浅藻)
1934(昭和9)年4月吉日
行相神社(豊玉町田)
1938(昭和13)年旧6月吉日
金剛院(厳原町豆酘)
1940(昭和15)年4月吉日
豊崎神社(上対馬町比田勝)
1940(昭和15)年11月吉日
そのほかの作品
琴平神社(豊玉町賀谷、大正13年旧3月)や志々伎神社(美津島町尾崎・郷崎、大正14年11月)の鳥居など
増田 壽太郎
※「壽」の文字は石面の判読が難しく、推定です。
美津島町根緒の和多都美神社/高倉神社に、上記の田崎亀次と同時期に狛犬を納品していますが、作風がそっくりです。
乙宮神社(厳原町南室)の狛犬もほぼ同時期・同デザインですが、大正10年以降の作品は(今のところ)確認できていません。
乙宮神社(厳原町南室)
1921(大正10)年旧6月吉日
和多都美神社/高倉神社(長崎県対馬市美津島町根緒)
1921(大正10)年11月吉日
※同年同月の田崎亀次の狛犬と細部までそっくりです。
そのほかの作品
嵯峨神社(豊玉町嵯峨、大正10年4月吉日)の鳥居など
有江 政雄
表情豊かなユーモラスな作風です。現在、名前を確認しているのは太祝詞神社だけですが、同時期・同デザインの狛犬が複数あります。
太祝詞神社(美津島町加志)
1938(昭和13)年9月9日
金原嘉七、金原清一、金原長次郎
※「嘉七」は石面の判読が難しく、推定です。
大吉戸神社に設置されている大型の狛犬で、迫力がありつつ柔和な印象で、完成度の高さを感じます。
現在、同石工の狛犬を確認できているのは大吉戸神社のみです。
大吉戸神社(美津島町黒瀬)
1893(明治36)年旧5月吉日
岩永/岩永石材店
光彩が線刻で、人の眼のように見えるのが特徴。「岩永」姓で、作風が似ているので同系統だと推測。
妙躰神社(厳原町豆酘瀬)
1925(大正14)年9月吉日 岩永十郎
八幡宮神社(厳原町中村)
1932(昭和7)年8月吉日 岩永〇六 ※〇は判読できず
金比羅神社(厳原町小浦)
1939(昭和14)年1月吉日 厳原町岩永石材店作
「出雲構え獅子型」狛犬の登場
出雲地方(島根県)には、加工しやすい砂岩系の来待石(きまち)石が産出し、多くの狛犬が製作されました。前身を低くして、腰を高くかかげ、いまにも飛び掛かりそうな「構え」型が有名です。
対馬でも、昭和15年頃から構え型の狛犬が製作されていたようです。
既出の田崎亀次の作品では、金剛院(昭和15年)のものがありますが、以下、作者の記載がないものを列挙します。
乙宮神社(豊玉町糸瀬)
1940?(昭和15?)年 ※「皇紀2600年記念」の文字から推測
嵯峨神社(豊玉町嵯峨)
1940(昭和15)年10月吉日
乙宮神社(美津島町芦浦)
1943(昭和18)年11月吉日
鹿見本神社(上県町鹿見)
制作年月未確認
天神神社(豊玉町小綱)
制作年月不明 7月吉日のみ
この最後の狛犬は、製作者や制作年月日の記載がなく、とても気になっています。
豊玉町小綱は海運で栄えた集落でもあり、出雲あたりからの移入品なのか??
うーん。