
大河に備えよ!その1 横須賀訪問編(砲台、小栗忠順など)
こんにちは、2027年の大河ドラマ「逆賊の幕臣」が楽しみすぎて今からソワソワしているエヌです。(早すぎ)
大河に備えた情報発信の準備のため、モンベルフレンドフェア(横浜)に合わせて、舞台・横須賀を視察してきましたので、報告です!
(訪問は7月4日でしたが、夏はイベント盛りだくさんで、報告ブログを書きながら寝落ちすることが多くなりました。寄る年波・・・)
小栗上野介忠順(おぐり・こうずけのすけ・ただまさ)
大河の主人公・小栗忠順(主演:松坂桃李さん)は、 歴史作家・司馬遼太郎さんが「明治の父」(の一人)と称えたほどの偉人なのですが、長くなるので、今回は略歴・主な業績のみ。
【略歴】
- 1827年 江戸に生まれる。
- 1860年 遣米使節団の一員として渡米、国際情勢を学ぶ。
- 1862年 勘定奉行に就任し、幕府の財政立て直しを指揮。
- 1865年 横須賀製鉄所(造船所)、建設開始。近代化を推進。
- 1868年 戊辰戦争中に新政府軍に捕らえられ処刑。享年42歳。
【主な業績】
- 横須賀製鉄所の建設を主導、日本の近代工業化の礎を築く。
- 富岡製糸場の設立にも関与(ただし、直接の着工は明治政府下)。
- 幕府海軍の強化、フランスからの軍事顧問団招致。
- 西洋式軍備の導入や人材育成に尽力。
- 日本の近代化を志向した幕臣として評価されている。
JR横須賀駅

歴史がある、かわいい駅舎です。

横須賀駅、思ったより小さいな、と思ったら、中心部は京急の横須賀中央駅とのこと。
記念艦・三笠(みかさ)
さて、駅で防衛大学校の由良先生&奥様と合流し、横須賀を案内していただきました。(なんと贅沢な視察なんでしょう!)

まずは、日露戦争で活躍した、連合艦隊旗艦の三笠(イギリス製)。
日露戦争後、火薬庫の爆発事故や関東大震災など何度も被災しましたが、記念艦として復元・公開されています。

日本海海戦の舞台は対馬沖なので、世界的には対馬沖海戦(Battle of Tsushima)と呼ばれます。

「坂の上の雲」のワンシーンを連想しますね。写真はたくさん撮りましたが、キリが無いのでこれくらいで。
猿島砲台

記念艦・三笠のすぐ近くにあるターミナルから、猿島へ。

現在は猿島のビジターセンターが置かれ、専門ガイドツアーが実施されています。
(勉強会も盛んで、由良先生はガイドさん向けの講習会も担当しています)

東京湾からの敵艦侵入を防ぎ、首都・東京と横須賀軍港を守るために、観音崎砲台に次いで明治14年に起工された最初期の砲台です。

対馬の砲台は第1期(明治20年代)、2期(30年代)、3期(大正~昭和初期)に分類されますが、横須賀(観音崎、猿島)は0期(明治10年代)に分類される、とのこと。
0期と1期の違いは何だろうと思っていたのですが・・・

弾薬庫の横に、細長い通路があるのがわかりますか?
弾薬庫は間口が狭い割に奥行きがあり、暗いので、横の通路との間に小さな窓を開け、ランプを設置していたそうです。(弾薬庫にランプを置くと引火する危険性があるため)
対馬の砲台では、弾薬庫の奥行がなく、光が届くためこの通路はありません。
試行錯誤の過程が見えてきます。

砲台に使用された赤レンガは、明治10年代には失業した旧士族救済のため愛知県で設立された「東洋組」のものを、20年代後半には東京都葛飾区にあった小菅収監所のものが大量に使われているそうです。

砲弾を弾薬庫から直上に引き上げるための揚弾井(ようだんせい)。
大砲の砲弾をひとつひとつ引き上げていたんでしょうが、効率が悪そうですね・・・。対馬の砲台では見たことがありません。

通路の両面が高い切り通しのようになっています。砲撃を受けると、埋まって交通不能になりそう・・・。

とんでもない量のレンガで構築された通路。
明治10年代のレンガの積み方は、フランスの影響を受け、もっとも優美とされるフランス積(フランドル積)、20年代はイギリス積みが多くなります。
ガイドさんは砲台はもちろん、猿島の生き物(アサギマダラなど)にも詳しく、とても勉強になりました。

対馬の砲台跡ではまったく見る事がない(笑)、軽食サービスも。
横須賀の人はBBQが大好きらしく、道具のレンタルも行われていました。
観音崎砲台

猿島から戻り、観音崎砲台をご案内いただきました。

戦没船員の碑
第2次世界大戦で犠牲となって海洋で亡くなった6万余人の船員の霊を慰め、平和への願いが込められた碑です。失われた船は2500隻840万総トンだとか。
戦日に 逝きし船人を 悼む碑の 彼方に見ゆる 海平らけし
平成4年1月20日 御製
観音崎第三砲台(旧第四砲台)

観音崎の赤レンガの隧道(ずいどう)を抜けるとそこは・・・

明治15年8月起工、同17年6月竣工、第0期の砲台跡でした!
28糎榴弾砲(せんちりゅうだんほう)を4門設置とのことですが、高低差が多く、砲弾の運搬などの運用が難しそう。この後、さまざまな工夫・改良が施されていくことになるんでしょうね。
観音崎第二砲台(北門第二砲台)

6つの砲台が階段状に設置され、通称は「だんだん砲台」。第4~6砲座は東京湾海上交通センターの建設で消失したようです。
同じく0期、しかも明治13年5月着工(同17年6月竣工)の日本最初の砲台です。

隧道内にレンガ造りの砲側弾薬庫があるらしいのですが、落盤の危険性があり立入禁止(残念)。
明治30年代には山頂に観測所も増設されたようですが、雑草が繁茂しておりました。
真夏の山城や砲台探訪は厳しいですね・・・。
観音崎水中聴測所

横須賀市自然・人文博物館

横須賀にゆかりがある三浦按針(ウィリアム・アダムス)、小栗忠順、(マシュー・カルブレイス)ペリー、(フランソワ・レオンス)ヴェルニーについて学ぶことができます。
- 三浦按針 → 徳川家康の外交顧問
- ペリー → 1853年、日本の開国を求めて、黒船艦隊を率いて浦賀に来航し、日本人に衝撃を与える
- 小栗忠順 → 1860年、遣米使節団として訪米、大統領に謁見し、世界一周を果たす。1865年、勘定奉行(財務大臣)として横須賀製鉄所(造船所)起工、日本の近代化を図る。
- ヴェルニー → 横須賀製鉄所の建設のために招聘されたフランス人技術者。日本最初の灯台である観音崎灯台を設計し、「灯台の父」とも。日本の近代化・技術教育に大きく貢献した。

横須賀製鉄所(のちの造船所、海軍工廠)の模型。

ペリーの黒船来航から横須賀製鉄所の建造にいたる日本の近代化と、小栗忠順の業績について学ぶことができます。写真はたくさん撮りましたが(以下略)
ヴェルニー記念館

JR横須賀駅に隣接した記念館で、フランス人技師ヴェルニーと小栗忠順の業績を知ることができます。

幕末の慶應元年(1865年)に製造され、横須賀製鉄所に据え付けられていたオランダ製の巨大「スチームハンマー」は圧巻。
文字通り、蒸気の力で金属素材を鍛造・圧延する工作機械です。人力で数日かかっていた鉄の切断も、一瞬でできたとか。国指定重要文化財。

「小栗上野介忠順の夢を実現したヴェルニー」
戦艦「陸奥」(むつ)

ヴェルニー記念館には、陸奥の1/100の模型が展示されています。
三笠はイギリスから購入した戦艦でしたが、日露戦争後、戦艦の国産化が図られ、1920年には広島の呉海軍工廠で戦艦「長門」が、1921年には横須賀海軍工廠(横須賀製鉄所→造船所→海軍工廠)で戦艦「陸奥」が建造されます。
いずれも世界初の41センチ砲を搭載し、世界七大戦艦に数えられます。
(日本の長門、陸奥、イギリスのネルソン、ロドニー、アメリカのコロラド、メリーランド、ウェストバージニア)。
陸奥の大砲

ヴェルニー記念館のすぐ近くに、陸奥の主砲の砲身と砲弾が設置されています。
(陸奥は太平洋戦争末期に原因不明の爆発事故により瀬戸内海で爆沈し、後に引き上げられました)

対馬の豊砲台の大砲(巡洋戦艦「赤城」の主砲を移設したとされるもの)と同型の45口径41センチ砲なので、こんな大砲を8門(二連装4門)も搭載した戦艦があったことに驚きます。
大砲は全長18.8mで102トン、射程距離は最大38,300m。砲弾は1発が1020キロ。

もしいま暴発したら、正面にあるヴェルニー記念館はたいへんなことになりますね(やめろ)。
ヴェルニー公園

小栗忠順とヴェルニーの胸像があり、二人の功績を讃えています。
横須賀海軍工廠跡
ヴェルニ―公園の対岸に、旧横須賀製鉄所の3基の石造ドライドック(船渠)が見えます。

現在は米海軍横須賀基地内のため立ち入りはできませんが、かなり大規模な遺構が現存しているようです。
子規の歌碑

ヴェルニー公園には、横須賀らしく山城、長門、沖島などの「軍艦の碑」があります。


正岡子規の歌碑を発見。明治21年、休暇で浦賀・横須賀・鎌倉に遊んだ時のもの。
三笠ビル商店街・ミリタリーショップ

ショッピングモールも記念艦・三笠でびっくり。

ミリタリーショップもありました。
夜は、横須賀市の教育委員会の皆さんと会食。
突然の訪問にも関わらず、丁寧に対応していただき、感謝申し上げます。
大河ドラマ「逆賊の幕臣」では、幕末の浦賀から横須賀製鉄所など、横須賀全体が舞台になるんでしょうね。
楽しみです。
今回、由良先生と奥様には何から何まで、たいへんお世話になりました。
いただいた資料などまだ読みこめてはいませんが、大河に備え、準備していきたいと思います。
ありがとうございました!
対馬の砲台、堡塁 見て歩き 第9回

今年3月、由良先生に、対馬の砲台に関する講座(主催・対馬市教育委員会)を開催していただき、あわせて対馬の昭和期の観測所を踏査したのですが、その成果が、航空自衛隊連合幹部会機関誌「翼」に記載されています。(なんと18ページ!)
↓講座と踏査の様子は、以下のブログ記事から!


https://kacchell-tsushima.net/archives/9631





