
対馬楽フィールドワーク「対馬砲台あるき放題 姫神山砲台編」レポート!
こんにちは、11月は登山(文化財巡視)・アニメ取材対応・対馬楽講座・お城イベント出展などせわしない日々を送ったエヌです。
(12月もそんな感じです)
さて、11月30日(日)に、対馬楽FW(フィールドワーク=現地見学会)として、「対馬砲台あるき放題 姫神山(ひめがみやま)砲台編」を開催しました!

この企画は、11/19(水)に開催した「対馬要塞を巡る」講座の内容を実際に体験するもので、参加者の皆さんと一緒に、明治時代に築かれた壮大な砲台跡を目指しました。
- 日時 2025年11月30日(日)10:00~15:00
- ガイド 小松 津代志 さん
- 訪問地 姫神山砲台(長崎県対馬市美津島町緒方)
- 参加者 10名
基本情報
名称 姫神山(ひめがみやま)砲台
所在地 長崎県対馬市美津島町緒方、対馬の東海岸 >>Googleマップ
起工 明治33年(1900年)2月
竣工 明治34年(1901年)11月
備砲 28㎝榴弾砲×6門
緒方集落から砲台へ

フィールドワークは、対馬の東海岸にある美津島町緒方(みつしままち・おかた)地区からスタート。

ガイドは、先日も講師を務めていただいた小松津代志さん。参加者は10名でした。

旧小学校跡地の門柱は、実は姫神山砲台から移設されたとのこと。

軍道横にもありました・・・。

砲台手前500mの広場からは、三浦湾や浅茅山(あさじやま)を一望できます。
車でのアクセスも可能ですが、道幅が狭く、すれ違う余地がほとんどないため、緒方地区からの徒歩をお勧めします。
砲台の構造と歴史を学ぶ
砲台跡で小松さんから詳しい解説を聞きます。

弾薬庫(棲息掩蔽部・せいそくえんぺいぶ)のレンガは、明治30年代らしいイギリス積み。
芋崎砲台の弾薬庫は半地下式ですが、こちらは同一平面上にあり、運用しやすい最新の設計が採用されています。

山頂近くに濾過式の井戸が設置されており、雨水を利用した水の確保の工夫が伺えます。

浸食されやすい砂岩は、100年の時を経て徐々に風化しています。

浅茅湾(あそうわん)内の砲台の設置状況について解説する小松さん。
明治時代、対馬の中央にある浅茅湾を、清やロシアの軍艦(による占拠)から守るために、多くの砲台が築かれました。
幕末のポサドニック号事件(ロシアによる不法占拠事件)を繰り返さないため、という理由もあったんでしょうね。

砲座には、日露戦争時代の主力兵器である二十八糎榴弾砲(せんちりゅうだんほう)2門(×3基、計6門)が設置されていました。
この砲台は標高約170mに位置し、敵の砲弾が届きにくい高所であるにもかかわらず、砲台前方の壁(胸墻・きょうしょう)が6m(?)ほどの高さがあります。
これは、軍艦の大砲の進化による遠距離射撃を見越した新しい設計のようです。

観測所へ続く石階段の重厚なデザインも印象的です。
砲台と絶景

右翼・左翼の両観測所からは、視界いっぱいに広がる絶景を堪能できます。

観測所には、標的までの距離を測る武式(ブラッチャリーニ式)測遠機が置かれていたとされるレンガの円柱が残っています。

気象条件がよければ、水平線上に壱岐や「海の正倉院」とも呼ばれる沖ノ島を遠望できます。

胸墻から砲座を見下ろすと、かなりの高低差があります。
砲座からは海面を直接見る事はできないため、観測所からの指示で方位や射角を修正し、斜め上方に砲弾を発射する仕組みでした。

左翼観測所から広がる、秋の青空と絶景。
日露戦争時代の軍事史跡であることは間違いないのですが、景観の素晴らしさも再認識しました。

古代山城・金田城や、対馬の霊峰・白嶽も見えていました。

「対馬の明治期を代表する、最大規模かつ典型的な砲台跡」と言われる通り、広々として開放感があります。

こうして、姫神山砲台フィールドワークは無事終了しました。
秋晴れの気持ちよい1日、ガイドの小松さん、ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました!
おまけ

右翼観測所に残る、「北」を示す石柱。

左翼観測所、武式測遠機用のレンガの円柱。

戦後の鉄泥棒から難を逃れた、鉄部品の一部。

鉄泥棒に折られたと思われる門柱。


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