
カッパ狛犬と最古の石工について ~対馬の狛犬(略)その5~
こんにちは、最近、狛犬に呼ばれている(ような気がする)エヌです。
たとえば・・・
先日、「対馬六観音まいり」(詳しくは先日のブログを見てくださいね)の打ち合わせで国昌寺に行くと、狛犬が目に飛びこんできました。

江戸時代まで神仏習合(神道と仏教が融合すること)が当たり前だったので、お寺に狛犬があることは不思議ではないのですが、いままで(お寺は)ノーマークだったので嬉しい発見です。

岩永系かと思いましたが、詳細は不明。
※岩永系 ・・・ 石工 岩永さんまたは岩永石材店(厳原町)作の狛犬で、アーモンド形の眼が特徴。(個人的な分類です)

で、ふと、気になったのが頭の上のセメント・・・
補修かな?と思いましたが、他の岩永系の狛犬にも同じ跡があるんですよね。

これはちょっとして・・・
河童(カッパ)狛犬ではないのか?!!(興奮)
実は、頭に凹みがあるタイプの狛犬があり、お賽銭を置く、灯明(ろうそく)を設置する、水害を防ぐ祈りが込められている、などの説があります。
>> 「カッパ狛犬が、常堅寺にいますよ」(岩手県立遠野高等学校 note)

まさか、河童(カッパ)狛犬が対馬にもあるとは・・・
今後は、頭の凹み、お皿も要チェックです!
(この話、ついてきてますか?)
>>日蓮宗 国昌寺 (長崎県対馬市厳原町大手橋1128) Googleマップ

さらに、事務所に戻る途中に、現時点で対馬で2番目に古い狛犬(1番目は厳原八幡宮)の写真を撮るために、「味処 千両」さん裏の金比羅神社に行ってみました。

表情が個性的!(手塚漫画風!)

角がある!(獅子には角がなく、狛犬には角があります)

文政七年八月吉日といえば1824年。なんと200年前!
狛犬の土台の裏に文字が刻まれており、暗くてよく見えなかったので、スマホのライトを当ててみると・・・

江戸時代の! 赤間関の! 石工の! 清兵衛!
江戸時代の赤間関の石工・清兵衛さんがこの狛犬を彫り、それが200年の時を経て、対馬の地にあることに感激しました。(私、病気ですかね?)
>> 金比羅神社(長崎県対馬市厳原町田渕1079) Googleマップ

ちなみに赤間関は、現在の山口県下関赤間町で、源平合戦の最終局面・壇ノ浦の合戦で、幼い安徳帝が海に沈んだことで有名ですが、実は安徳帝は落ちのび、対馬で余生を送ったという伝承があります。
>> 安徳天皇御陵墓参考地(長崎県対馬市厳原町久根田舎) Googleマップ
対馬の狛犬の分類に「カッパ狛犬」が、そして対馬の石工に清兵衛さんが加わった、記念すべき日になりました。
(周囲の眼は真冬の気温のように冷たいけど、オラ、負けないぞ!)