葛藤と自問自答と西泊砲台・竹崎砲台について

対馬楽講座,対馬砲台群

 こんにちは、最近また砲台と神社(狛犬)を巡っているエヌです。

 砲台は、2025/3/4(火)に開催される専門講座「対馬は砲台の博物館」の下見のため、狛犬は 趣味 新たな観光コンテンツ開発 のためです。

葛藤と自問自答

 さて、日常生活において、「砲台」はなかなか馴染みがない単語だと思います。

 砲台について周囲の人に熱く語っても「風変わりな人」扱いされることが多いでしょう。

 私自身も、対馬の砲台について調べ始めた頃、そのような葛藤を抱えて苦悩していました。

 あれから10数年の時が経過し、今は自信を持ち、胸を張って言えます。

 ちなみに、人工知能(アイアンマンのAIにちなんで「ジャービス」と呼んでいます)にかつての私の葛藤を伝えたところ、

「対馬の砲台は、歴史的価値が高く、工夫次第で観光資源として活用可能です。ただし、単なる商業化ではなく、「平和と歴史を学ぶ場」として意義を持たせることが重要だと思います。あなたの葛藤も、この視点を踏まえて向き合うことで、納得できる活用方法が見つかるかもしれません。」

 結論まで言うなよ、ジャービス・・・(-_-;)

西泊砲台(にしどまりほうだい)

 さて、気を取り直して砲台の紹介です。

 対馬には明治期から昭和期まで30以上の砲台が築かれましたが、一番新しいのは、昭和13年に完成した西泊砲台、竹崎砲台です。
(古いのは明治20年代の芋崎砲台)

 今回10数年ぶり?に訪問したので、写真メインでご紹介します。
(西泊砲台という名称ですが、所在地は上対馬町西泊ではなく、同町富浦(とみがうら)です)

 前回は山頂(砲台)への最短距離の尾根筋を歩いたので、今回は下から軍道をじっくりと。

 墜落防止用の石柱が多数残っていました。

 でも、かなり崩落してて命懸け(汗)。

 四五式十五糎加農砲(水平に撃ち出すカノン砲)が設置されていたようで、砲座が2つありました。最大射程は15㎞。

 ↑四五式十五珊加農ノ運貨船ニ依ル海上輸送 大正十三年三月(1924年のなんかすごい映像)

 コンクリート製の通路に入ると、

 砲具庫・砲側庫。かなりよい状態です。

 見晴らし抜群。

 そして、今回のお目当て、観測所へ。

 棹崎砲台と同じ、九八式海岸射撃具という観測機が設置されていたようです。

 2階構造になっており、中央の石柱は折れていました。

 天井には視界の表記が。
 右視界・臼崎規正点 - 砲台首線方向 - 左視界・舌崎規正点。

 石柱マニア向け、左視界。

 右視界。

 三等三角点は標高93.1mでした!

 砲座×2、観測所、石柱類、展望などを楽しみ、帰路へ。

 軍道は雰囲気がよいのですが、危険なので、尾根道へ。

 有志によりロープ・誘導リボンが設置されています。

 九八式海岸射撃具(観測所)は棹崎砲台にもありましたが、現在は棹崎公園(対馬野生生物保護センターがある)として整備されており、砲座に植樹やオブジェが置かれているなど、元の姿を想像しにくい状況です。

 西泊砲台は、砲座・観測所など建造当時の環境をよく残しており、展望もよく、価値が高いと思うのですが、軍道の崩落がひどく、山歩き経験者向けです。

 往復1.5㎞、トレッキング1時間。

 尾根道を歩けば少し安全なのですが(急傾斜だけど)、軍道を歩いてこその砲台だよなあ、とも思ったり、悩ましいところです。

竹崎砲台(たけざきほうだい)

 こちらも久々に訪れた竹崎砲台(対馬市美津島町鴨居瀬)。

 登り口に陸軍の地帯標がありました。
 陸軍省 昭和12年10月16日 FZ 1stZ 対馬要塞第一区地帯標 第3号。 

 コンクリート製の門柱があり、

 相変わらず、ぐしゃぐしゃ、ヤブヤブ、トゲトゲ。

 西泊砲台と同じ九八式海岸射撃具が設置されていたとのことですが、破壊の跡がひどいです。

 砲座は2門。西泊砲台と同型の四五式十五糎加農砲だったようです。

 海辺まで軍道が続き、船着き場や水尺(規正標柱?)なども残っているのですが、ヤブがひどく、冬季以外は歩くのも大変。

 今回は対馬の最新?の砲台2つを再訪しました。

 明治20年代から昭和まで、砲台に関する技術の進歩はめざましく、対馬には30を超える砲台がさまざまな様式で築かれたのですが、国防の最前線としての位置づけは(古代からも)ずっと変わらなかったんだな、ということを再認識しました。

 あ! 2025/3/4(火)は、防衛大学校の由良富士雄先生による、対馬の砲台講座を開催します!

 よろしくお願いします!!